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大龍寺五百羅漢堂

江戸本所羅漢寺のレプリカ。さざえ堂ファンなら必見!

(愛知県名古屋市千種区城山新町2丁目)

地図・MAP
   
   

覚王山の散策で最後に立ち寄ったのが大龍寺である。今回の旅の主要な目的は八十八ヶ所霊場巡りではあったが、覚王山で最大の見物は実はこの大龍寺だ。(と言っても、一般の観光客はあまり立ち寄らないのだが。)日本の建築史で最も奇抜な建築はおそらくさざえ堂だろうが、そのさざえ堂の前身とも言えるのが東京都本所羅漢寺の本堂「羅漢堂」である。本所の羅漢寺は現在存在しないが、そのレプリカとも言える建物がこの名古屋に現存している。さざえ堂自体が建築史の傍流としてつい最近まで文化財に指定されなかったほど認知度が低かったわけだが、その前身である羅漢堂は傍流中の傍流といった感じで、今でもほとんど知る人はいない。

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まず、その外観を見てみよう。本堂は五間四方の塗籠め城郭造で、一見して怪しい。

しかし、その怪しさはその外見だけではないのだ。本堂の両側に袖の様に2棟の別棟があり、本堂とは2階建ての渡廊で接続されている。羅漢堂はこの3つの堂が一つのセットになって機能する。各堂の内部は立体的で複雑な通路になっており、ここを順路に沿って巡ることで五百体の羅漢像を参詣するという迷路建築なのだ。

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一度も通路が交差せずに巡回できるようになっているのはさざえ堂と同じだが、恐るべきことに五百羅漢堂には2系統の巡拝路(赤矢印と緑矢印)が確保されており、しかも、それぞれが太鼓橋で立体交差するようになっているのだ。ちょっと、口で説明したくらいでは想像できない複雑な建築なのである。なぜ、2系統の順路があるのかを理解するのは容易ではない。思うに、本所羅漢寺では赤系統の参拝路は有料、緑系統は無料だったのではと想像しているが、それは理由にはならない。あえて理由を求めるならば、この種の建築の目的は即座には把握できないような迷宮的な空間を作り出すことで、参拝者にある種の異界を体験させるのが目的ではなかろうかと思う。

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平面図を見ていただきたい。内部は3つの異なる高さの床面を持っている。赤系統の順路に沿って説明すると、まず本堂に入った参拝者は履物を脱いで内陣に上がる。そして、須弥壇の左側の戸口から左側の袖堂へ移動する。現在はこのとき渡廊の1階部分を通過するようになっている。袖堂へ入るとすぐに階段が続き、一気に2階平面の高さまで登り、太鼓橋を渡ることになる。

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この太鼓橋は緑系統の通路と交わらないようにするための立体交差である。(左写真は緑系統の通路から堂内を見た様子。緑系統の通路は土間になっている。)

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太鼓橋を渡るとすぐに階段を下り、袖堂内の中島のような作りの雛壇に着く。そこは羅漢像が3段並ぶ雛壇になっていて、順路はその雛壇を回るように周回し、再び太鼓橋の所に戻ってくる。太鼓橋は中央が欄干で仕切られており、通路が交わることはない。

左写真では雛壇(赤系統)通路と、土間(緑系統)通路が別れている様子がよくわかる。

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太鼓橋を渡ると、袖堂の北面にも羅漢像が並んでおり、それを拝観しながら再び渡廊に至る。渡廊に入る前に階段を登り床面は2階になる。渡廊を渡るとすぐに通路は鉤の手状に折れ曲がり、本堂の裏側の狭い廊下(左写真)に至る。この通路は設計上ほとんど採光がなく、暗やみが続く。鉤の手の設計もおそらくこの通路への光を遮断するためと思われる。この通路は本堂に参拝したときにはわからないように作られており、言ってみれば隠し廊下だ。参拝客は知らぬ間に左側の袖堂から右側の袖堂へ移動することになる。

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隠し廊下を抜けると、右側の袖堂へ出る。右側の袖堂を左側のときと対称に巡拝し、最後に本堂の内陣へと戻ってくるわけである。

参拝客は複雑な屈曲、高低差の変化、暗やみによって次第に方向感覚が失われ、気付いてみたら本堂に戻っていたというような不可思議な体験となったのだろうと想像する。全体が塗籠造で作られているのも、光を遮蔽し暗い空間を作りだすことが目的だったのではなかろうか。

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ところで、現在の大龍寺では一つ気になることがある。

本堂から袖堂へ移動する際、1階部分を通過するようになっている部分があるが、ここで一度外部に出るようになっている。ここはむしろ往路、復路ともに2階で複廊になっていたと考えるのが自然な気がしてならない。大龍寺はもともと新来町にあったものが明治45年に現在の地に移築されたものである。もしかしたらその際この部分の構造に変化があったのではなかろうか。

現在大龍寺は修復工事中であり基本的には参拝できない。左右の袖堂の建物はほぼ修復が終わっており、今後は本堂部分に着手するところである。建築史上の重要性から言えばほぼ国指定重要文化財に指定可能な建築だと思われるが、住職が「寺は博物館ではない」と文化財指定を拒んでいるため、現在一切の文化財指定を受けていない。

(1999年11月23日訪問)

     

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