朝陽館本家

本郷にあったすばらしい木造旅館。

(東京都文京区本郷1丁目)

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朝陽館(ちょうようかん)本家をどういういきさつで知ったのかは、もう思い出せない。

最寄り駅からはちょっと歩くため、決して便利とは言えない場所にあったこの旅館は、私の東京出張の定宿であった。

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だが駅から歩く道のりのおかげで、仕事の空気を取り払うことができ、宿の玄関にたどり着くころにはまるで田舎の家に帰るようなくつろいだ気分になれるのだ。

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取引先とのおつきあいでチェックインは夜の10時すぎになることもたびたびだったが、迷惑がられることもなくいつも暖かく迎えられた。

この旅館は全室が和室で、素泊まりで遅くなる由を電話しておくと部屋には布団が敷いてあるのだった。疲れて宿に入ったら、大浴場で風呂を使いすぐに布団の上でくつろげる、東京のオアシスといっていい場所なのだ。

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こうした旅館は、かつて田舎の学校の修学旅行需要で繁栄した。朝陽館はいまは出張客相手に細々とした商売をしているが、客室は全部で45室もあり、私はついに宿の奥のほうの間取りまで完全に把握することはなかった。

朝陽館は明治37年に創業し、戦後改築されたという。典型的な修学旅行向けの旅館だった。

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ロビーの調度品もなんとも昭和のよい雰囲気だ。朝起きて、新聞に目を通すソファーだ。

何度もこの宿に泊まっているので、その時々に撮影した写真を組み合わせて今回の記事を書いている。

まず下の2階の間取図を見ていただきたい。玄関は右端の("本館貮階"と書かれている)凹部にある。ロビーは菊の間、寿の間の下にあたる。

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間取図で赤い線が入っている本館部分が主に営業している区画で、左のほうの新館、別館は営業していたのかどうかは不明。

この写真は1階で、間取図でふじの間の階下の廊下から新館方向を見たところ。

想像なのだが、本館2階は学校の引率の先生がたの宿泊用に使われ、新館、別館は生徒用の部屋だったのではないかと思う。

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2階ふじの間前の廊下から新館方向を見たところ。

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同廊下を新館方向からふじの間方向をに見たところ。

天井の意匠にも贅が尽くされている。

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ここは新館2階水仙の間前の廊下から新館方向を見たところ。手前の空間は間取図ではホールと書いてある。

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古い建て増しされた旅館にありがちなのだが、至るところに階段がある。

ここは本館2階たかさごの間前から手洗所方向を見たところ。

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本館2階ふじの間横の階段を1階方向へ見たところ。

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新館2階ふじの間前の洗面所の旧態(2004年頃)。その後2011年にこの洗面台を撮影したときには、一続きのステンレス流し台に改装されていた。

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ふじの間横の階段を、2階から登り方向へ見たところ。

立入禁止になっているが、この先は自家用と思われる物干し台へと通じていた。

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新館と別館のあいだの中庭。

地下へ下りる階段があるのが気になるところ。

このあたりの記憶がハッキリしないのだが、大浴場は新館の地下1階にあり、そこのボイラー室への入口か、大浴場の明かり取りの窓のための空間かもしれない。

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さて出張の宿泊客はだいたい本館2階に案内される。

写真は桜の間前から寿の間方向を見たところ。

部屋の入口には飾りの格子戸がありその奥に戸があるという数寄屋風の造り。廊下の天井が傾斜しているのが粋だ。

全部の部屋の前に小屋根が出ているのが洒落ている。

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たかさごの間方向を見たところ。

この廊下の突き当たりにある6畳間らんの間は、手塚治虫がかんづめに使われた部屋だとあとで知った。

私は隣のたかさごの間を使ったことはあるけれど、確からんの間は使ったことがなかったなぁ・・・。

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客室内を見ていこう。

これはたぶん弥生の間。

本館は全室に床の間がある贅沢な造り。鏡台、日本人形、将棋の駒の置物など調度品がたまらない。

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南向きの部屋の一部にはテラスがある。

これは末広の間。

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これも末広の間。

弥生の間と高砂の間を比較して気付くことがあるだろうか。そう、全体的に数寄屋造りなのだが、床の間や天井の造形が違うのだ。電灯のペンダントの意匠も違っている。

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チェックアウト前にお願いして、他の部屋の天井も見せてもらった。

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なんと全部の部屋の天井のデザインが違うのだ。

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ひとつひとつの部屋に数寄の趣向が凝らされている。

残念ながら、それぞれの写真がどの部屋だったかはわからない。

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これは羽衣の間か。

この時に使っていたSANYOのコンパクトカメラがひどいもので、非常に写りの悪いものが多い。

その前に使っていた大げさなカメラから、機動力重視でコンパクトカメラへ切り替えを試みた1年だったが、結局多くの悪い写真を残しただけで、貴重なチャンスをずいぶんと無駄にした。

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その後、結局一眼レフデジカメになり、ひどい写真は少なくなったが、もっと早く見切りをつけるべきだったと反省している。

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こんな贅沢な天井を作っていたのだから、昭和ってすごい時代だったのだ。

未確認だが、生徒用の部屋はたぶんここまでは凝っていなかったのではなかろうか。あくまで本館は教師用の部屋だったと思われるので。

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本館2桜の間横の手洗所。

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ドアは両方向に開くスプリング式の蝶番が使われている。ドアノブはなく、両方から押して通るドアだ。

小用便座の前には竹の床柱があり、トイレの中までが数寄屋風の造りになっているのがすごい。

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そのトイレの大用個室。

トイレットペーパーを置くための棚が洒落ている。

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本館の浴場。脱衣所の鏡はイラストで飾られていた。

本館の浴場はあまり広くなく、やはり教師用に使われたのではないかと思う。生徒が使う大浴場は新館の地下にあり、男女別で小さな銭湯くらいの規模だった。泊まり客が多いときは大浴場が使えたが、泊まり客が少ないときは本館の小浴場が使われた。浴場の写真も撮っておくべきだったな。

朝陽館が廃業して取り壊されたのは2016年のことである。

(2004年05月25日訪問)