中村の火の見櫓

村境にある火の見はまるで塞の神のようだ

(群馬県長野原町横壁)

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横壁集落で滝無不動から諏訪神社へと向かう道で見かけた火の見。

ところで吾妻川に沿った細長い吾妻地方を東西に抜ける国道は川の左岸(北側)を通っている。これに対して吾妻川の右岸(南側)の街道は集落の中をぬって走る細い街道で、国道が渋滞したときに抜け道として通ったりする裏道だ。私の育った地域では吾妻川南岸の街道を“ヒカゲミチ"と呼ぶことがある。

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そのヒカゲミチを通っているとよくこんな村外れの火の見を見かける。

こうして村外れに立っている姿は、まるで村の入口でに災いの侵入をはばもうとする塞の神(さいのかみ)のようでもある。火の見櫓は言ってしまえばタダの防災施設なのだが、その姿のシンボル性ゆえに、どうしても信仰的な立地に建てられることが多いように思うのは私の思い過ごしであろうか。

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実際、火の見櫓の建っている辻には、地蔵や馬頭観音などの石仏が集められている。

サークルの人々の到着を待ちながら、横壁の中村集落をぶらぶらしてみた。このあたりは八ツ場ダム完成後ももかろうじて水没しないようだ。

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左写真は集落の中で見かけた農家。北関東の近代の典型的な養蚕農家の形式である。2階が養蚕のための空間として作られており、民家としては巨大なのが特徴だ。

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養蚕は既に絶滅寸前の業種であり、養蚕にまつわる建築が新たに建てられることはもはやありえないだろう。こうした民家は今は北関東ではどこでも見られるが、百年を経ずに消える風景であろう。

パノラマ写真

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そのほかの横壁の集落の点景。

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集落の南側にそびえる丸岩山。溶岩ドームか? この上には戦国時代には丸岩城という山城があったそうである。

(2001年04月01日訪問)