三原水車小屋

水輪はないが上掛けで、心棒は鉄製の典型的な実用水車。

(群馬県長野原町横壁)

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「水車発見ッ!」

長野原駅へと向かう途中、左写真の風景を見て私は思わず叫んでいた。

実は横壁諏訪神社から駅へ向かおうとして、道を間違えて集落の中へ入り込んでしまったのだが、怪我の功名だった。

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で、これが水車小屋だ。

以前の文章でも書いたが、庭園やドライブインに作られている観光水車と、現実の水車小屋のギャップは大きいのだ。

こういう、あるがままに作られて、あるがままに消えていく水車小屋って、ホント、しびれる。

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では、取水路から見てみよう。

小屋は斜面に建っていて、その背後の用水路から分水している。分水した水はすべて水車に使われるのではなく、一部だけが樋に導水されるようになっている。(樋は水色に塗られている。)

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導水された水は樋を伝って、水輪(みずわ)の上から注がれる。すでに水輪は失われていた。

このような水の掛け方を上掛けという。水輪の最上部に水を掛けるのだから水の位置エネルギーが最大になる、一番効率のよい水の掛け方である。

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心棒は鉄製。そして中心から放射状に伸びるスポーク部分(クモ手)は6本で、木製だったようだ。

ちなみに私は水車の水輪や心棒が鉄製だろうと、ブリキやトタンだろうと、その他のどんな素材だろうと構わないと思っている。本当に使われるために作られた水車は、そのときその時の時代を映すべきだと思うのだ。昭和に作られた水車であれば、鉄やトタンを使うのは当然だろう。

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内部は、搗き臼×1、ひき臼×1。

搗き臼の“はね木"は3本という珍しい構造。

心棒が鉄製ではね木を心棒に貫通させることができないので、このように三角形の井形に組むのはとても合理的でありよく工夫されている。

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ひき臼。

木製の歯車も健在。水輪を修復すればすぐにでも使用できそうだ

ところで、小学館文庫に『水車の作り方の本』という本があり、そのなかで現在国内に残存する(観光以外の)稼働水車は100件程度、という記述があるのだが本当なのだろうか? どうも近年出版されている水車関連の書籍を見ると、西日本と九州の一部の著名な水車を中心として書かれていて、全国津々浦々の素朴な水車小屋の実像を把握していないと思われる気がしてならない。 100件といえば47都道府県で平均すると各県2件強ということになってしまう。私の実感としてはその数倍の稼働水車があるのではないかという気がするのだが‥‥。

もっとも『水車の~』にも書かれている通り、新たな観光水車が次々に作られている一方で、本来の実用水車は日々失われているのは確かである。“日々失われている"でいう“日々"とは、昭和の高度経済成長期のころのことでもなければ、土地バブルのころのことでもない。平成十年を過ぎた今現在のことなのである。ここで採り上げたような目立たない水車小屋はここ十年(1990~2000年)のあいだに激しく取り壊されているのだ。目立たない存在だから失われていることにさえ気がつかないのである。おそらく今後十年で、無名の水車小屋はほとんど失われ、本当に全国で100件程度しか残らなくなってしまうだろう。そうなる前に一つでも多くの水車小屋の記録をとどめてゆきたいものである。

(2001年04月01日訪問)