三光寺

国重文の藩主霊廟があるが平日のため拝観できず無念。

(岩手県軽米町山内)

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三光寺は南部氏ゆかりの寺で、二十七代南部利直親子の霊廟がある寺だ。「霊廟」というのは、わかりやすく言えば、お墓が建物になっているもの、とでも言えばよいか。

左写真は山門の薬医門。手前に見える“棒"は松の木の枝を支えている棒である。こんなんで大丈夫なんだろうか。

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左写真は本堂と庫裏。

利直は若くして亡くなった息子利康を弔うため、極彩色の華麗な霊廟を建てた。また、質素ながら隣には利直自身の霊廟も建てられた。前者は国重文に指定されている。

2宇の霊廟はいずれもRC造の覆屋の中に入っていて、外から様子をうかがうことはできない。

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霊廟の拝観料は大人300円。さっそく庫裏に拝観を申し出る。

出てきた年配の大黒さん(寺の奥さん)は方言がきつくて、ほとんど言っていることがわからない。だが、標準語に翻訳すればこんなことを言っていたようだ。

「今日は平日だし面倒くさいから開けない。別の日に出直して欲しい。どこから来たの?」

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私は間髪入れず答えた。「横浜から来たんですけど!」

これだけ遠路はるばる来たのだから、当然拝観させてくれるだろう。ところが大黒さんの反応はそっけなかった。

「だったら、悪いけどまた別の日に来てくれ。」

そう言うと、奥に引っ込んでしまった。

予想外の展開に私はまったくリアクションがとれなかった。庫裏の前に取り残された私。近くに繋がれている寺の犬がやたらに吠えている。

この寺に来たのは2度目だ。前に来たときに霊廟を拝観できたから今回はあきらめるか‥‥。

霊廟に戻り、改めて廟の覆屋に中をのぞける隙間や窓がないか、覆屋の廻りを一回りチェックしたてみた。やはりまったく中の様子は見えない。しかたがないので野外にある南部家の墓(左上写真)などを見て車へと引き返した。

車の座席に座ったときに、はたと気づいた。青森県の下北半島には横浜町という地名があったのである。

(2000年10月04日訪問)