長福寺

三重塔は鎌倉期の建築で岡山県最古の木造建築というが。

(岡山県美作市真神)

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旅の7日目の最終目的地、長福寺。

到着したのは夕方の5時頃。

遠くから三重塔の優美な姿が見えてくる。

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寺は山裾にある。山門は一間一戸の鐘楼門で、門前では子供達が泥団子作りに熱中していた。(ちょうどこのころ泥団子ブームがあったのだ。)

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門前には放生池があり、右側には弁天堂が浮かんでいる。

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山門を入ると正面には庫裏兼本堂。

全盛期の鎌倉時代には60坊、江戸時代初期にも40坊を数えたという巨刹だったというから、現在の有り様は寂しいかぎりである。

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境内には他に、宝蔵庫(写真右)と、謎の堂(写真左)があった。

謎の堂は中に厨子が入っていた。地蔵堂か観音堂といったところだろう。

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境内の外の山のふもとに三重塔が建っている。

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三重塔は鎌倉時代の建築で国重文。岡山県最古の木造建築である。いかにも鎌倉らしい均整のとれた極上の塔といえる。

ただ、長福寺はもともと山頂にあり、衰退したため昭和3年に現在の場所に移ってきた。三重塔はその後も山頂に残されて荒廃をきわめたため、昭和26年に解体修理をして山頂から降ろしたもの。

建っている場所もちがう、使われている部材もほとんどが後補、となると、本当にこれを鎌倉時代の建築と言っていいのだろうか。気持ちの上ではしっくりこない。

が、とにかく全体の姿はは極めて美しい塔であることには違いがない。

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一階の縁には擬宝珠高欄を巡らしている。

意匠は純和様。ただしさっき見た本山寺ほどの力強さを感じないのは、同じ三手先の組み物でも、肘木や尾垂木が短く、か細い印象を受けるからだ。連子窓や木口階段も作りが繊細すぎるように感じた。

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三重塔の裏には鎮守社があった。これも新しい建築なので、塔と一緒に山上から下ろしたものなのだろう。

これで本日の訪問予定はすべてクリアできた。まだ少しだけ時間がありそうなので、もう1~2件見てみることにしよう

(2001年05月05日訪問)