長福寺

東海道の赤坂宿に面した寺。本堂の下部は亀腹。

(愛知県豊川市赤坂町西裏)

長福寺のある場所は、行政上の区分から言えば音羽町になる。豊川市のほうから東海道をたどると旧御油宿(左下写真)、御油の松並木(左下々写真)、赤坂宿は隣接していてひとつの宿場町の様相を呈している。江戸時代には遊女の多かった宿場だったというから、単に宿駅としての機能だけではなく近郷から男たちが遊びにくる歓楽街的な機能も持っていたのであろう。

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今でも東海道の面影を感じさせる町並みが残っている。

と、言って見ても、左写真のように2階の階高が高い家並みは江戸時代の街道にはなかったと思われる。ほとんどは明治後期以降に成立した風景でであろう。

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御油と赤坂の間には松並木がある。

『東海道中膝栗毛』では旅人を狐が化かす場所として登場し、喜多八が狐と間違えられて縛り上げられてしまうというエピソードが描かれる。

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長福寺は東海道の赤坂宿の中ほどにある。

入り口は薬医門で左右は白壁になっている。

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境内へ入ると正面が本堂、右側に書院(?)、庫裏がある。

よく見ると本堂の下部は亀腹(白い漆喰でできた丸みを帯びた土台)になっていて、意外に古そうな感じだ。

本堂の前には水盤舎がある。

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本堂の付近には他に、鎮守社と鐘堂(左写真)がある。

この鐘堂の柱は下部で変に曲がっている。曲がった木材をわざわざ使ったのか、めずらしい造りだ。

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裏山の観音堂へと登る石段があった。

石段の途中には弘法堂、鎮守社がある。

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熊野谷観音。

普段、広角のアングルでばかり写真を撮っているので、紹介する寺は感動のない写真にばかりなってしまうが、実際の寺の堂宇の小屋組(屋根)みは、写真のイメージとは違って重厚なものなのである。そして実際の寺は写真のイメージよりはずっと感動的なものでもあるのだ。

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ところが実際に堂の前に立って写真を写すと、同じ堂が左写真のようになってしまうのである。

(2001年10月07日訪問)