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新田荘・湧水の里

新田町の湧水巡りに出かけたが、そこに待っていたのは豊かな水のイメージとはかけ離れた残念な光景だった。

広域地図

2004年8月末、ちょっと遅い夏休みだが久しぶりに帰省した。その日は平日だったが、たまたま友人が代休で休みだったので、半日かけて東毛(群馬県の東部)観光に出かけることにした。

東毛で半日くらいかけて面白いものを見たい、と考えたとき、実は新田町の湧水巡りがいいのではないかと、私はかねてから思っていた。こんこんと尽きることなく湧き出す清廉な地下水、それをただ見ているだけでも現代人にとっては癒しになる。名水ブームの今日にマッチした隠れた観光コースではないかと思ったのだ。

新田町は古くは「新田荘(にったのしょう)」と呼ばれ、平安~鎌倉時代には新田氏という豪族が治めた荘園だ。関東平野の北限の山並みから流れ出る渡良瀬川の扇状地であり、浅間、榛名、赤城山などの活火山からもたらされた火山灰土によって豊饒な畑地が続いている。扇状地というと一般には水が得にくい地形といわれるが、新田町はちょうど扇状地の終端部にあたるためか幾多の湧水池があり、その池からはそれぞれ川が流れ出している。おそらく古代からこの湧水群を使って拓けてきたのであろう。

ついでなので、伊勢崎市南部の富士塚などを見学しながら新田町へと向かうことにした。