六所神社

国重文の本殿はものすごい極彩色。

(愛知県岡崎市明大寺町耳取)

写真

東岡崎駅のすぐ東側に踏み切りがある。その踏み切りを通る道は六所神社の参道である。

写真が小さくて見にくいが、線路の北側に朱塗りの一の鳥居があり、踏み切りを渡って南側はクロマツ並木の参道になっている。

写真

いかにも、神社がありますというような参道だ。神社があるのは東海道から見ると南側の丘陵なので、参道は北向きに伸びていることになる。

神社は松平家の氏神で、徳川三代、四代将軍の時代に現在の社殿が整ったとされている。

写真

参道を200mほど進むと、左側に国重文の楼門が見える。社殿はは西面していることになる。

このように石段を上り詰めたところに楼門がある神社はたまにあるのだが、逆光になるし楼門全体の姿を写真に撮りにくい。六所神社は境内も狭く、建物がひしめくように建っているので、全般的に写真が撮りにくかった。

写真

仕方ないので、横から楼門を観察する。屋根は檜皮葺き、垂木は二軒の繁垂木で、薄くて優美な軒になっている。

意匠は和様と唐様の折衷で、雲模様の尾垂木などは私の趣味ではないが、まぁ国重文といえば、そうかもなぁ、という微妙な感じの建物。

左写真で右側に少し見えているのは拝殿。

写真

拝殿、本殿は権現造。特に本殿は江戸初期の極彩建築の極致という感じで、これは文句無く国重文の貫録である。あとちょっと、歴史上の事件などに関わってるか、拝殿まで極彩だったら国宝になれたろうというレベルだ。

写真

それにしても凄みのある極彩だ。

朱塗りを基調とした極彩建築というのは田舎の寺にもあったりするが、こういう黒を基調として金、青、緑を多用した極彩建築というのは、かなり限られる。建築意匠が悪い方向へ行く一歩手前で、贅沢の極致でなんとか踏みとどまったぎりぎりの美しさとでも言えばよいか。

写真

左写真の建物は、説明によると「神供所(しんぐしょ)」。こけら葺きで国重文。「神供所」は初めて聞いた言葉だ…。六所神社について書いているホームページを検索すると、皆こともなげに「神供所が国重文です」と説明しているが、「神供所」は日本国語大辞典でしか調べられないようなむずかしい言葉だった。

これとほぼ同一の建物がこのあと訪れる伊賀八幡宮にもあり、そちらでは「御供所(ごくしょ)」と呼んでいる。この建物も一般的には御供所と言ってもいいように思う。御供所とは、神様にお供えする供物を盛りつけて準備するための専用の建物である。

写真

神楽殿。この建物は桟瓦葺きだし、外側から見える部材の新しさなどからみてせいぜい戦前くらいの建物に見えるが、妻飾りの豕扠首や舟肘木を用いてシンプルに飾られた意匠はいかにも神道らしくて、緊張感のあるよい建物だと思う。

写真

神楽殿の隣にあった、三晃大黒社。

写真

拝殿の横には、護符売り場と信徒休憩所(?)(左写真の右隅)があった。

写真

水盤舎。

写真

護符売り場の奥には棟門があり、駐車場へと続いている。

説明では、参道→山門→本殿→駐車場と書いているが、実際には駐車場に車で乗りつけているので、私がこの神社で見た最初の風景は左のようなアングルであった。

(2002年02月11日訪問)