伊賀八幡宮

徳川家の庇護が厚かった。やや重文インフレ気味かも。

(愛知県岡崎市伊賀町東郷中)

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伊賀八幡宮。

松平家、徳川家歴代の庇護が厚く、岡崎市内にある神社では、国重文建築の数において、朝に立ち寄った六所神社と双璧をなす神社だ。

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参道は300mほどで、途中には両部鳥居がある。

下町の路地を思わせる、飾り気のない参道だ。

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境内に入る直前には太鼓橋がある。

境内へは階段を下りてゆくことになる。午前中に訪れた土呂八幡宮も階段を降りて参詣する地形だったが、伊賀八幡宮の下り階段は手前の川の築堤によってできた階段ではないかと思う。

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神社の境内にはいると池があるが、もともと川と池はつながっていたのではないだろうか。

池の途中には石製の神橋がある。国重文に指定されている。かなり立派なものではあるが、国指定まで行くものなのだろうか…。徳川家の庇護の厚かった神社では重文のインフレ現象が発生することがあるが、この神社の石橋や透垣の指定はややインフレ気味と言えそうだ。

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冬場で蓮の葉が枯れていたので、反り橋と楼門の端正な姿が池の水面にきれいに映っていた。

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境内図。

末社がけっこうあるのだが、どれも同じような造りのため、写真が同定できずに困ってしまった。

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山門は随身門の楼門。意匠は和様、唐様、天竺様の折衷様式。

二層の屋根裏に見える垂木は、吹寄垂木というまばらな垂木の方式だ。

国重文。

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拝殿。

中央に見える破風は唐破風を二つ連結したようなあまり見たことのない破風の意匠だ。

国重文。

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社殿は権現造で、本殿は極彩色。

幣殿、本殿、手前の透垣すべて国重文。

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末社のひとつ、牟久神社。

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拝殿の左側にあった御供所(ごくしょ)。国重文。

午前中に訪れた六所神社では、ほぼ同一に見える建物を「神供所(しんぐしょ)」と呼称しているが、この神社の「御供所」ほうが一般的な呼びかただと思う。

「御供所」とは、神様にお供えする供物のうち調理をともなわないものを仕度するための建物だ。一方、調理をともなう場合は「神饌所」と言われ、午前中に上地八幡宮で見た。

このあたりの建物の用途や名称については、正直なところまだ勉強不足…。

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末社のひとつ、若宮社。

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末社のひとつ、上総社。

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東門。薬医門で、文化財指定はない。

このような簡素な門だから、たびたび修理を受ければ、創建時の部材など残りもしないだろうが、蟇股や化粧屋根裏の様子などは、かなり古い感じがする。

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門を出たところには阿芸社がある。

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境内図にあった建物をすべて紹介できなかったのは、写真を撮っていなかったためなのだが、なぜこんなに中途半端になってしまったのか、自分でもよく思い出せない。

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そのわりには、境内を出たところの火の見櫓の写真はしっかり撮っていたりする。

(2002年02月11日訪問)