宗光寺

巨大な四脚門は国重文。錣屋根の本堂、禅堂がある。

(広島県三原市本町3丁目)

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旅の2日目。宿を出て最初に向かった寺は、きのうの寺町めぐりの続きとなる宗光寺だ。

実はこの寺は、きのうの夕方にも訪れているのだが、暗くて写真の写りがイマイチだったので再訪することにした。

300mほどの参道があり、伽藍を遠望することができる。寺の立地としては申し分がない。山門の四脚門が見えるが、巨大な門であることがわかるだろう。

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緩い坂の参道の先にわずかな石段があり山門の四脚門がそびえている。

あれ? こんなわずかな石段を登るのに、足が痛いんですけど‥‥?

きのうの疲れがあまり抜けていないようだ。最初のスポットですでに足が痛いというのは先が思いやられる。

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山門は小早川隆景の時代に城門を移築したという伝説があり国重文。伝説のとおりであれば戦国時代の建築ということだが、柱や腰貫などの部材を見ると総じて新しく、築40~50年くらいの印象だ。文化財指定を受けて修理が行われたのだろう。江戸以前の国重文の建築といっても、その当時の木材でできているわけではない。

横からみると冠木(かぶき)(=門の扉の上の横材)がずいぶん飛び出していて、水切りの屋根が付いている。かつては塀などにつながっていたのだろうか。

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山門を入った正面は玄関になり、本堂はやや左にある。このように、入母屋造の吹き下ろしの途中に段差のある屋根の造りを「(しころ)屋根」という。

錣屋根と呼ばれるものには、この本堂のように入母屋造りの途中に段葺きがあるだけのように見えるものと、切妻屋根に四方庇がついたような外観で、接合部ではっきり折れ曲がっているものがある。ひっくるめて錣屋根と言っているが、この2種類は別の屋根とみなせるのではないだろうか。

ともあれ、錣屋根はこの地方の特徴的な本堂の葺き方だ。

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本堂の右側には回廊で接続した禅堂があった。

今回の旅で見た寺の本堂の前には石灯籠がある比率が高いように思える。ただ、その石灯籠に地域別、宗派別の様式があるのかどうかはわからない。

猫足がかわいい石灯籠だ。

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玄関。

裏庭まで吹き抜けになっている粋な造り。玄関の裏手には蔵があり、屋根が少し見えている。

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庫裏は煙出し櫓を載せた切妻の大庫裏。

妻飾りは二重虹梁、蟇股、大瓶束を組み合わせた力強い意匠と、細かい間柱や舟肘木を並べた繊細な意匠が混在した凝った造り。しかも、なにやらカーブを描いた細い横材がさらに面を細かく分割している。

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庫裏の前には回廊で接続したハナレがあった。

用途の想像がしにくい建物だ。

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禅堂の裏手には塗籠、宝形の堂。これはきのう訪れた順勝寺の堂と極めてよく似ている。順勝寺では「経蔵」という見立てだったから、ここでも経蔵としておこう。

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さらに本堂の前には地蔵堂×3。

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浅野忠長の墓所。浅野忠長は三原城の2代城主で江戸初期の人物。

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鐘楼も袴腰の転びが大きい相当に立派な鐘楼である。

(2002年08月27日訪問)