佐野橋

利根川水系にはめずらしい大規模な流れ橋。

(群馬県高崎市佐野窪町)

烏川(からすがわ)は利根川の支流で、西毛の大半が流域となる大きな川だ。その烏川が高崎市街地をすぎて、高崎市の南部にさしかかるあたりに「佐野橋」という橋がある。

さて、本サイトでは橋の構造上の分類で、橋桁と水面の位置関係から次の種類にわけてとらえている。

  • 抜水橋(ばっすいきょう):橋桁が水に浸かることを想定していない橋。日本中にあるほとんどの橋は抜水橋である。
  • 沈下橋(ちんかきょう):増水時に橋桁が水面下になる橋。橋桁は水流や流木の激突の力に耐えるように丈夫に作られている。欄干はない場合が多く、あっても仮設。潜水橋という呼び方もある。
  • 流れ橋(ながればし):橋桁が橋脚に固定されておらず、増水時に橋桁まで水がくると橋桁がはずれて浮かぶようになっている橋。橋桁は鎖やワイヤーで岸と結ばれていて、増水中には流れの弱い岸辺に流れ寄せられている。

佐野橋はこの分類でいう「流れ橋」である。流れ橋は関東では埼玉県の荒川水系や茨城県に多いというが、群馬県ではめずらしい。

私が流れ橋を知ったのは埼玉で大学に通っていたときであり、通学路にその橋はあった。台風などで橋桁が流されるとしばらく通行止めになるため、通学ルートを変えなければならないのだった。現在その橋は抜水橋に掛け替えられてしまっている。また2011年まで住んでいた徳島県にも流れ橋はたくさんあり、その大半は取材したのでいつか紹介したいと思っている。

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佐野橋の東詰めは、住宅街の奥まったところにあり、まともな取り付け道路もないため、普通に道を走っていてここに出ることはまずないだろう。「佐野橋にでも行ってみるか」という気持ちがなければ行かない場所なのである。

高校時代に一度、写真部の友人と自転車で見に来たことがあるが、それ以来になる。

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橋の東詰め。堤防が1mくらい高くなっているため、増水時にはここに板をはめて浸水を防ぐのだろう。

欄干、橋床は木造だ。

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橋脚はH鋼の鉄骨。青く塗られているが、これ、茶色などで塗ったらかなり風情があるのではないだろうか。

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橋桁は東半分はH鋼、西半分は丸太である。

橋桁が橋脚の上に載っているだけなのがよくわかる。

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近所の人たちが散歩などでけっこう歩いていた。

1kmほど上流に城南大橋ができるまでは、対岸にある農大二高の学生たちの重要な通学路だったろう。

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橋の西詰め。

西詰めもわかりにくい場所にある。とても橋があるとは思えないような未舗装の河川敷の道の先にあるため、自動車で接近するには勇気がいる。

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佐野橋のすぐ北側には上信電鉄の烏川橋梁がある。

橋脚が流線型になっていて、流木などがぶつかる場所は石がはめてある。

コンクリによる補強工事をしているので、このレンガ造の外観は近いうちに見られなくなるかもしれない。

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橋から50mくらい下流の消波ブロックの上にカワセミがとまっているのを発見。

私のカメラは建物撮影仕様なので、鳥の撮影は苦しいのだが最大望遠で見てみる。

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このあたりの東岸は自然の崖になっているので、カワセミが営巣するのにはぴったりの場所なのだろう。

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2013年9月13日、佐野橋が増水で流されたと聞き、あらためて出かけてみた。

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橋の中央部分の橋桁が木造の部分が完全に流失しており、東側の橋桁がH鋼の部分も水圧で曲がってしまっている。

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曲がったH鋼はもう元には戻らないであろう。長持ちさせようと思ってH鋼にしたのだろうが、かえって高くついてしまったのではないか。

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木造部分はすぐ下流に流れ着いていた。

流れ橋の魅力は「いかに流れるか」だと思っている。「流れる」ためには「川が増水すべきときに増水する」ことが必要条件であり、それはすなわち、川が自然に近い状態を維持していることでもある。

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復旧させるためには市に臨時の予算が発生するだろうから、行政的には廃橋にするか、抜水橋に掛け替えたいところだろうと思う。

かなり遠い記憶だが、高崎市街の君が代橋と和田橋のあいだにもこんな橋があったような気がする。

(2013年01月13日訪問)