緑埜精糸社跡

当時の事務所の建物が残っている。

(群馬県藤岡市上大塚)

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藤岡市にかつてあった、緑埜社という組合製糸の跡地でイベントがあるというので行ってみた。

緑埜精糸社(みどのせいししゃ)」は明治12年に設立された組合製糸である。いわゆる、上州南三社といわれた甘楽社、下仁田社、碓氷社と同様に、農家が20~30軒集まった組合があり、その組合をさらに束ねた組織だったという。緑埜社は14年しか続かなかった歴史は短い組合だった。

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緑埜社の製糸工場があった近くに稲荷神社があり、現在、その境内に記念碑が建てられている。

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組合製糸は、農家で作られた家内制手工業の糸を共同で揚げ返し(=まき直し)して、ロットを統一することで品質管理することから始まり、次に、小規模な工場制手工業の製糸工場を建てるようになる。

明治初期ということだから、製糸工場では座繰器という木製の機械が並べられ、手廻しで糸を引いていたことだろう。その後の揚げ返し工程には水車動力を使ったのではないかと想像される。

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緑埜社には21の組合が参加していて、高山社の高山長五郎の家も緑埜社の流れの組合に属していた。

緑埜社の中核になったのは「緑埜組(みどのぐみ)」という組合だった。その緑埜組の事務所がいまでも残っている。左写真の崩れかけたような建物が事務所である。

この建物の奥が製糸工場だったそうだ。

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事務所の横には、さきほど紹介した美土里用水が流れている。

おそらく水車が掛けられていたと思われるが、その跡はもう残っていない。

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その少し上流の現在は田んぼになっている場所は、かつて煮繭場だったという話をきいた。

煮繭場とは、繭を適温で煮る作業をする場所だが、座繰製糸では煮繭と繰糸はすぐ近くでやるはずだから、繰糸場もこのあたりにあったのかもしれない。

(2013年11月02日訪問)