地守神社

鳥居と境内の間に川があり、橋がない。

(群馬県藤岡市下日野)

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鮎川の中流、かつての日野村の村役場や学校などが集まっていた集落が駒留だ。その集落の川べりの道を走っていると不思議な鳥居がある。

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この鳥居は、道ばたに立っているのだが、鳥居をくぐった先はすぐ鮎川になっていて、神社へ続く参道がない。

つまり鳥居だけが立っているように見えるのだ。

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実は対岸に地守神社という神社があり、鳥居はその神社の鳥居なのである。

神社側から鳥居を見たところ。

一応神社側から参道の続きのような道がある。もしかすると、この場所にはもともとは橋がかかっていたのが、洪水などで流されてしまったのかもしれない。

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川側から神社を見たところ。

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川から神社へ進むと最初にあるのが長床(ながとこ)だ。長床とは修験者や信徒が参籠や休憩できるようになった横長の拝殿のことである。たいていは中央を通り抜けることができるので、構造的には割拝殿ととらえることもできるが、当サイトでは「中でおおっぴらに休憩などができそうか」という観点から長床と割拝殿を区別している。

棟札みたいなものがかかっていて、「五社殿之修復 昭和三十七年十月」と書かれていた。

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境内には杉の巨木が目立つ。

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ひときわ大きな杉の木。

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巨大な唐破風のついた拝殿。

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拝殿の唐破風というと通常は向拝部分なのだが、これは向拝というには大きすぎる。どちらかといえば縦拝殿である。

よって、平入りの本殿に縦拝殿が接合した、吉備津神社の本殿の造りである「吉備津造」に近いものと分類したい。

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縦拝殿の内部を覗くと天狗の面がかかっていた。

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同じく縦拝殿の中の額。「皇軍万歳」などとキナ臭いものが残っている。

私は太平洋戦争自体が間違っていたと断じるつもりはないが、その戦争を遂行するために実施された国家神道を基盤にした全体主義は間違いだったと思っている。宗教的全体主義のために、戦争行為において不適切な戦略、戦術が選択され、結果として軍人や国民に無駄な犠牲をもたらしたからだ。

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本殿の左側にある神楽殿。

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本殿の左奥にある倉庫。おそらく山車が入っているのではないか。

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本殿の右にあった末社。

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太子堂。

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太子堂の内部。養蚕火鉢が2つ置かれている。

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神楽殿っぽい謎の建物。旧神楽殿か。

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この神社の西側には鮎川苑という釣り堀がある。この釣り掘りに行くには神社の境内を通過しなければならない。

(2013年08月27日訪問)