天神山庭園

三渓園を作った原善三郎が故郷に建てた広大な別荘。

(埼玉県神川町渡瀬)

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原善三郎は明治時代の大資産家であり、横浜の別邸の跡は三渓園として有名である。だがその出身地である神川町にも広大な別邸を造ったことはあまり知られていないように思う。

その庭園は「天神山庭園」といって、善三郎の生家の裏手、神流川の崖の上にある。2ヘクタールもある広大な別邸だが、表通りからはまったく見えず、入口にも看板などは一切ないため、近くをクルマで通っても気付くことはないだろう。その庭園は4月1日~30日に毎年一般公開されている。

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入口の門を入るとすぐに屋敷神がある。

敷地は東西に長い。西は神流川(かんながわ)、東側は林の斜面になっているため、敷地に一歩入ると、まったく外界から隔絶された別世界となっている。

善三郎は造園が趣味だったそうで、この土地の造成も善三郎のデザインによるものだったかもしれない。

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天神山庭園については情報が少ないため、憶測で書くことになる部分も多いが、おそらくここは現在でも私有地であり、オーナーの好意で1ヶ月だけ無償公開されているものと思われる。

園内の主要な建物は、主屋とそれに連なる茶室、そして少し離れたところに、懸崖造りの休み処からなる。

左写真は主屋への入口。

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建物の内部は非公開。

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主屋の裏側の書院。

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亀甲竹(きっこうちく)というめずらしい種類の竹が植えられていた。

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庭園内にある休み処。北側が斜面で、懸崖造りになっている。

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休み処の北側は深い空堀になっている。

善三郎はこの堀に水を満たし、船などを浮かべようと計画していたのではないかという気がする。もしここに船を浮かべれば、休み処の北側の眺望がかなり風情あるものになるだろうと思うからだ。

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空堀と神流川のあいだにはダム状の堤がある。空堀が元々は池として設計されたのではないかと思わせる、もうひとつの根拠である。

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園内には小さな滝や池もある。

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ミズバショウ園。

季節がまだ少し早かったのか、あまり咲いていなかった。

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敷地の西側はそのまま神流川で、庭園の借景になっている。

借景とは外部の風景を庭園のデザインの一部として取り入れる造園手法だ。実は川の対岸の群馬県側の土地は、この庭園の借景を保護するために原家が買上げて森にしてあるのだ。

国道462号線の八塩温泉の南側に、国道に面して 500 m ほどの森が続くが、そこが天神山の借景のために買上げられた土地である。

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川には大きな鯉が泳いでいるのが見えた。

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敷地から見た神流川の風景。

赤い橋は歩行者用の橋で、八塩温泉の旅館「神水館」の裏手から、神川町をつないでいる。

こうした広大な庭園が、外部の視線から隠されて今日でも存在できるということが驚きだった。似たような物件をいくつか知っているが、部外者は立ち入ることができないのが一般的だ。ここは年1ヶ月とはいえ、公開しているのがありがたい。

「とんでもない大金持ちになればこうしたひみつの場所を持てるのだ」という現実を目の当たりにするためだけに訪れてもいい場所だと思う。

(2013年04月16日訪問)