静御前の墓

京都へ上る途中この地で亡くなったという。

(群馬県前橋市岩神町2丁目)

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観民稲荷から北へ150mくらい行ったところに、「静さま」と呼ばれる祠がある。静御前の墓だといわれている。

静御前は京の白拍子で、源義経の愛妾であった。義経が追われる身となり、静も捕らえられて鎌倉に送られた。そのとき義経の子を身ごもっていたが、生まれた子は頼朝に殺されたあと、静は放免された。伝説によれば、京へ向かう途中、この地で病に倒れたとされている。

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静の墓といわれるものは、木製の祠の中に入っており、形式は祠内仏である。内部の石仏は暗くて確認できなかった。

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静が病に伏せたとき、このあたりの水車守りが看病し、その家に「静」の姓と鏡を与えたと言われている。

いまでもこの周辺には静姓の家が数軒あり、静の墓の隣には墓所もある。

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静家のひとつ。かつて「静撚糸」という撚糸業をしていたので訪ねてみたが、もう建物などは残っていなかった。

撚糸(ねんし)」とは、糸を製品加工する一工程である。前橋には繭から糸を引く製糸工場と、それを加工する撚糸工場がたくさんあった。撚糸には動力が必要であり、かつては風呂川に水車をかけて操業した時代もあったろう。静御前を看取ったのが水車守りだったという伝説と符合するのが興味深いところだ。

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静の墓のある場所の全景。

この写真の奥にある二階屋に注目したい。

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この二階屋は、おそらく「角田撚糸」という撚糸工場だ。やはり風呂川に面した立地にある。

今回の旅では、前橋市内で撚糸工場があると見込まれる場所を20ヶ所以上訪れたが、建物が残っているところは数軒しかなかった。ここはそのひとつ。いつかチャンスがあればちゃんと訪問してみたいものだ。

(2013年01月20日訪問)