箪笥屋横丁

木工職人が軒を連ねる通りだった。

(群馬県前橋市大手町3丁目)

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前橋児童遊園地「るなぱあく」の裏手、源英寺の墓地に沿って、くねくねと曲がる細い坂道がある。

この路地は、家具や建具など木工職人が軒を連ねていた道で「箪笥(たんす)屋横丁」と呼ばれる。

久しぶりに、友人とこの路地を通ってみた。

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この一角は元々は源英寺の土地だったという。

前橋の寺町には、このようにくねくねとした細い路地がいくつかあるが、私は父から「曲がった路地は墓石泥棒が墓石を盗みにくくするためだ」というような話を聞いたことがある。何となくわかったような、わからないような話だが、この箪笥屋横丁の路地は、何かそうした物語があるのではないかと思えるような、不思議な場所だ。

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私が子どものころは確かに、この道にたくさんの職人の工房があった。

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かつては前橋城の城内か墓地だったであろう路地に、どうして木工職人が多く住み着くようになったのかはわからない。

だが想像するに、この路地のすぐ北側を流れる広瀬川に水車を掛けて動力が得やすかったため、製糸や木工場ができていったのではないか。

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これは石鍋用水の排水部分。広瀬川から分水され、臨江閣の北側を流れる用水路だ。

この用水にかつてたくさんの水車がかけられ、さながらミニ工業団地のようになっていたのだろう。

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前橋の糸の歴史を語る上で、看過できない用水路だと思う。

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家具工房の跡。

建物は当時のままであろう。

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昔の風情が少し残っている場所もある。

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現在は殺風景な場所に変わり、ここがかつて木工の町だったとは気付きにくい。

埼玉県の川越に菓子屋横丁というという繁華街がある。いまでは人通りが絶えない人気商店街だが、観光化される以前はまったく訪れる人もなく、現在のこの箪笥屋横丁と大差ない景観の場所だった。

同じような景観の職人街でありながら、その結末はあまりに対照的すぎる。

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箪笥屋横丁の東の出口。

以前ここにはアーチ看板があり、通りにある家具店の名前が並んだ行灯がかかっていた。

写真撮っておけばよかったな・・・。

(2015年12月20日訪問)