チャイッパカヨンパゴタ

ジャイン川のほとりに立つ、ザタピンを代表するパゴダ。

(ミャンマーカレン州パアン)

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ザタピンの町を走り回っているときに見つけたパゴダ。

道の突き当りはもうジャイン川の河畔なので、境内はほぼ川岸に面しているといってもいいだろう。

ザタピン町内で見たパゴダのなかでは、一番大きく、ザタピンを代表するパゴダと言っていいのではないか。

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そのわりには山門が地味。

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お寺の名前は、ええと・・・・読めない。

あとでミャンマー人の通訳さんに読んでもらったら、

「コレ、私の民族の言葉じゃないから読めないョ~」

上はモン語、下の括弧つきの単語はカレン語とのこと。つまりどちらもビルマ語ではないというのだ。日本人からみたらビルマ語にしか見えないのだけど、上のモン語は発音すらわからないらしい。カレン語は発音はでき「チャイッパカロン」と書いてあるらしい。

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山門を入るとすぐタイル敷きの回廊。

これは山門の外で履物を脱いで行くタイプのパゴダだな。

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正面のお堂はパゴダの前面に接合している仏殿で、内部には7体の仏像がいた。「過去七仏堂」としておこうか。天井の収め方は私がモン様式建築の意匠だと考えている方式だ。

当サイトではこのように適当にではあるが、建物の名前を造語することがある。お寺の建物の場合は、①本尊による呼び方、②機能による呼び方、③構造や位置による呼び方があり、過去七仏堂などは①にあたる。パゴダに接合した仏殿や礼拝堂は今後③の基準により「パゴダ拝殿」とでも呼ぼうかと思う。

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パゴダ拝殿を外から見るとこんな感じ。

建物の中からは仏塔が見えないのだが、堂は独立しておらずパゴダに接合している。

パゴダは下部が白、上が金色というタイプ。

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もう一つ大きめの仏堂があった。

こちらにも回廊がついている。

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回廊の下には仏教説話のパネルが下がっていた。

釈迦が悟りを開いた後、最初の説法をするまでのあいだに偶然釈迦に出会った人々の場面ではないかと思う。

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修行者が自分の身体を橋にして仏陀を渡らせ、このとき仏陀が彼こそ次の仏陀になる者だと予言したというような説話。

たくさんの絵があるが、半分もわからない。

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こちらのお堂は扉が閉まっていた。

扉の両側にはエキゾチックな梵天像。

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扉は鉄格子なので中は見えた。

初転法輪仏と、左右にはたくさんの仏が並ぶ。

このお堂は「初転法輪堂」とでも呼ぼうか。

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仏塔をひと回りしてみよう。

きょうは薄曇りのためコンクリも熱くなっておらず、どこでも自由に歩き回れるのがうれしい。

パゴダの周囲には例によって八曜日の守り本尊が配置されている。おもしろいのは、眷族の動物が基壇の檻の中に入っていることだ。

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私の守り本尊の眷族である牙のないゾウ。

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メインのパゴダの回りにも小さなパゴダや仏像があった。

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仏像は先ほどの梵天と同じ作者によるものなのか、独特の色気がある。

光背は電飾光背なのだが、点灯していなかった。

どうも地域全体が停電しているみたいだ。特段に驚くようなことではない。ミャンマーでは停電などほぼ毎日のことで、むしろ停電のない日があったら驚くというくらいなのだ。

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鐘つき柱は覆屋がついている。

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鐘の竜頭(りゅうず)(吊り下げる輪の部分)には梵天や獅子の繊細なデザインがほどこしてある。

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よくわからないのが撞木(しゅもく)が大量にあることだ。

信徒が「マイ撞木」でも置くのか。

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タコンタイは、タコンが1本下がり、てっぺんにはオシドリ。

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やや目立たない庭園の中にあったコブラ光背仏。

このコブラは、ムチャリンダの樹に住み着いた竜神で、仏陀の瞑想を助けるため雨除けになったという伝説を再現している。

今後「ムチャリンダ堂」とでも呼ぼうかな。

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やっぱり仏陀の色彩がなまめかしい。

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寺の外へ出て、河畔のほうへ歩いていってみた。

小さな船着き場があった。

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船着き場のデッキから眺めた雄大なジャイン川。

舟の右側あたりの地平線に小山が見えるな。

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拡大写真。

今回のカレン州滞在では小山は可能な限り行ってみるつもりだ。

今日は大した目的もなくザタピンまで来たが、あの山を目指すことにしよう。

(2015年04月26日訪問)