パプンの孤児院

戦災孤児院を訪ねた。

(ミャンマーカレン州パプン)

仕事でパプン郡区パプン(Hpapun/ဖာပွန်)町を訪れた。これまでの記事でもときどき触れたパプン街道の終着地である。AH1号線のワボドゥ村の分岐点からパプン街道を北へ約150km、南北に長いカレン州の中北部の中核となる町だ。

パプンは2016年時点では外国人観光客に開放されていない。この町から北のエリアは中央政府と少数民族武装勢力との停戦合意のあとでも散発的に戦闘が起きた場所であり、まだ観光で行くような場所ではないのだ。訪問には州政府に許可証を発行してもらう必要がある。この日は仕事での訪問だったのだが、あまり情報のない地域なので仕事以外の部分を少しだけ紹介しようと思う。

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パプン街道は現在道路の拡幅と舗装が進んでいる。私が訪れた時点では、およそ中間点のカママゥン村(左写真)までは工事が終わっているか、あるいは工事中であった。

現在はパアンからパプンは片道5時間かかるが、この工事が完成すれば3時間程度で行くことができるようになるらしい。

もっとも工事が進捗しているのかは不明。あまり道をよくすると、政府軍が進軍するときに利用されるので、KNUが反対しているという話も聞く。

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カママゥン村から先、道は急に狭くなり、四輪車はスピードを落とさないとすれ違えない。橋りょうも木造が多く、大型自動車が常時通行するのには不安を伴う。

道の左右は高木の森林が続く。

途中、トイレでちょっと茂みに入ったけれど、あまり道からは離れないようにした。99.9%大丈夫なんだけど、地雷や不発弾などがある可能性も頭から消し去ってはいけないからだ。

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パプン町が近づくと、少し開けてきて水田が目立つようになる。

その刈田でなにやら農作業をしている人々がいた。

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遠目なのでよくわからないが、大きなうちわで何かを煽いでいる人がいる。脱穀したあとのモミと枯葉を分けているのではないかと思われる。

動力機械らしきものが見当たらないので、日本でいう千歯扱(せんばこ)きのような道具で脱穀しているのではないか。

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パプン町へ入って行く。

町は左右を山脈に挟まれた細長い沖積地にある。

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町の中央部。

小さなマーケットがある。他の大きな町で見かけるような屋根続きの市場は形成しておらず個々の店舗が集まっているという程度だ。

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町の中央をユンザリン川が流れる。下流部はミャインジーグーでサルウィン川に合流しているが、舟運でここまで登ってくるのは難しいのではないかと思う。

雨季に木材をいかだ流しで下流に送るのはできそうだが、ミャンマーにいかだ流しがあるかどうかは知らない。

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仕事を終えたあと、職場のスタッフが孤児院にクリスマスプレゼントを届けるというので一緒についていった。

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ここは内戦で両親を亡くした子どもたちが共同生活している孤児院で、おそらくキリスト教会が支援して運営されている。

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緑色のロンジー(巻きスカート)はミャンマーの学生服だ。ここから町の学校に通っているのだろう。

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左に見える草葺きの小屋が食堂。

ここでクリスマスプレゼントを進呈した。

奥には礼拝堂が見える。

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礼拝堂に行ってみた。

建物に十字架があしらわれているわけでもない。

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内部にも特別にキリスト教を感じさせるものはなかった。ただ花が飾られているだけだ。もちろん仏教という感じでもない。

あえていえばナッ神の祠に近い。

もしかすると信仰にかかわらず子どもを受け入れるようにしているのかもしれない。

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そうは言っても、クリスマスツリーっぽいものはある。お菓子やおもちゃで飾り付けられていた。

正月飾りにしては気が早いから、たぶんクリスマスツリーという見立てで間違ってはいないと思う。

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この孤児院へ向かう道で、民族衣装を着た女性を見かけた。

こうした美しい民族衣装は以前にもプゥテキ村で見たことがあり、カレン州の伝統的な織物を見つけたと思ったのが、実は町で買ってきたものだという結末だったことがある。

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そこで通訳さんを通して尋ねたところ、この女性が自分で織ったものだという。

あぁ、初めて複雑な織物の織り手に出会った。

仕事じゃなかったら、この女性の家まで付いていって機を見せてもらいたいくらいだ。

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とはいえ、パプン町にはまだこうした古典的なカレン衣装の織り手が残っていることが確認できたのは収穫だった。

いつかこの地域に自由に出入りできるようになったら、ぜひこの女性の家を訪ねてみたいと思う。

(2016年12月23日訪問)