万博公園の大ダコ

万博用地の片隅のタコだけがある公園。

(大阪府吹田市千里万博公園)

漫才コンビ麒麟の田村裕が執筆した自叙伝、『ホームレス中学生』に登場する公園のひとつ。突然の解散によって家族を失った主人公たちは公園の遊具で野宿することになる。その中で主人公の兄と姉が野宿していたというタコ公園はここだと言われている。

万博公園は1970年に開催された大阪万博の跡地。「21世紀は科学の発達の恩恵で誰でも豊かに暮らせる素晴らしい時代になる」とほとんどの国民が夢見た時代を写し取った遺跡だ。21世紀になっても私たちはいまだに宇宙旅行にも行っていないし、シースルーのプラスチックの洋服を着てもいない。テレビ電話が普及するどころか、100文字程度の文章と切手ほどの小さな絵を表示する携帯端末に数千円もの通信費を払い、通信費が払えない女子高生が援助交際をするような情報化社会を作り上げてしまった。

万博公園は広大で、まともに探索していたら1日がかりになってしまう。あらかじめ航空写真であたりをつけていったのだが、公園周辺の道路の状況がわかりにくく、目的の場所にたどり着くまでかなり苦労してしまった。万博公園の外周の道路は時計回りの一方通行。駐車場の入り口をちょっとでも過ぎてしまったらまた数キロを廻ってこなければならない。都市計画のスケールが時速80kmくらいのスピードで移動することを前提としているのだ。一度タコ山を行きすぎてしまい、2週目でタコ山の北西部の路上に外回りの営業マンが昼寝しそうな路駐空間を発見しそこに駐車。まともに公園の駐車場に置いたらタコ山からはかなり遠くなってしまうので注意が必要だ。

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タコがいるのは、太陽の塔などがある万博跡地の中心部ではなく、野球グランドなどがある東の外れだ。公園はカシの木の林と芝生の植えられた広場がメインになっている。

タコは大型タイプ。ボディー元の色はえんじ色。現在は薄いピンクに塗られている。滑降部は薄い黄色の上に濃い黄色が塗られている。

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大ダコは頭の上に登れるタイプのものが多いようだ。タコの山を作っている前田環境美術のホームページによればこの部分を「帽子」と呼んでいるのだが、このタコでは帽子部分が青く塗り分けられているのでいかにも「帽子」らしく見える。

左写真は左肩から帽子へと登る階段。

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タコを正面から見たところ。

左わきの下のスロープ後半部はほとんど平らで砂がたまっていた。

タコの「盾」部分のカスガイの数がやや少なめか。

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「盾」を横からみるとかなり厚みがあることがわかる。

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右背中から見たところ。麻田公園の大ダコでは触手は背中からせり出した通路の先に接続しているが、ここでは背中から直接生えているように見える。

またうなじ部分のスロープはだらしなく広がった凹地状になっている。形状としてはこちらのほうが一般的なようだ。

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頭の中から右背中へ出るための通路群。

左から、肩への出口、右わきの下スロープへの出口、触手への出口、うなじの穴である。

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左背中へ出るための通路群。

左から、うなじの穴、触手への出口、左脇の下スロープへの出口、肩への出口である。

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うなじの穴から外を見るとこんな感じ。

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左の触手部分には直線の滑降部がある。

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左脇の下のスロープ。

タコの山の中で私が一番好きな通路だ。ここの滑り心地は私にとってタコの評価基準の最も重要なポイントとなる。

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で、評価はどうかというと、ちょっと傾斜が緩く滑りが楽しめない残念な滑降部となっていた。

大型タコの場合、どうしてもこのスロープが間延びしてしまうのだろう。さらに途中に「虫食い穴」と呼ばれる分岐があるのも、滑降部にとってマイナスに感じる。

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これが虫食い穴。

やや位置が高めだ。

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付近にはタコ山以外には大きな遊具はなかったが、いかにも70年代を思わせる手の込んだコンクリ遊具があった。

これは象の足。色の違いと、じゃんけんの違いで新しい遊びを生み出せそう。

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ポップアート風のコンクリハウス。こういうものもある意味では貴重ではないだろうか。

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「穴壁」。

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周囲にはなぜか動物のライドが。ライオン、イノシシ、ラクダ、パンダ、リス、ワニなどがいる。

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珍しいイノシシのライド。

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フタコブラクダのライド。

(2003年12月30日訪問)