漢陽寺

境内にくまなく作られた日本庭園は必見。

(山口県周南市鹿野上)

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海岸線を離れ、内陸の山間地へ移動。目的地は鹿野町の漢陽寺である。

臨済宗の寺で禅宗の伽藍が充実しているらしい。私としては、堂宇が多いというのは、お寺訪問の最大の動機となるのだ。

参道の入口は民家の間の狭い松並木で、あまりぱっとしない。

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だが駐車場に車を入れてみると、その不安は吹っ飛んでしまった。

白壁に二重門に緑の杉林、きれいに掃き清められて整った境内地。どこから見ても名刹の名に恥じない雰囲気の寺である。

先ほどまでいた瀬戸内沿岸部と異なり、伽藍の屋根瓦が色つきの石州瓦に変わった。近隣の民家も石州瓦葺きがほとんどである。

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山門の手前左側には不動堂がある。

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山門は古い建築で、江戸中期くらいは行くのではないかと思われる。残念ながら2階には登れない。

参道は山門をくぐると左に折れるようになっている。

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境内には清らかな用水が、かなりの水量で流れている。

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この水は寺の裏山を貫通して掘られているトンネルで、上流の川から取水しているもの。そのトンネルについてはあとで紹介する。この水がこの寺の造園を特徴づけている。

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山門から折れ曲がった参道の突き当たりには仏殿がある。建物はかなり新しそう。戦後、それも昭和の後期だろうと思う。

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仏殿の内部には須弥壇があり、床は四半敷きの土間で本格的。

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仏殿は楼門から見ると90度の角度で建っている。

禅宗の伽藍配置は、山門から仏殿は直線上に並ぶのが本来だから、この寺の元々の配置ではないのかも知れない。

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山門から見て正面には玄関がある。

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山門から見て右側には書院。

そのさらに右奥には庫裏らしきものが見える。

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書院に掲げられていた寺の航空写真。

伽藍が非常によく整っているのが見て取れる。

だが禅宗の七堂伽藍的な構成ではなく、方丈(=本堂)を中心とした地方藩主の菩提寺などにありがちな伽藍構成といえるのではないか。

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書院で拝観受付をしていて、300円で諸堂を見学できる。

当サイトでは、寺の建物をやれ書院だ、客殿だ、方丈だと分類しているが、厳密にはあまりそれぞれの定義をしてこなかった。実際にはそ寺での呼称が正式名称になるのだろうが、今回の記事で当サイトなりの観点も説明していこうと思う。

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拝観順路で最初に入る建物、航空写真で右側にある赤い瓦屋根の部分が書院になる。

この書院の裏手には、「九山八海の庭」という庭園がある。

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蓬莱山をイメージした鎌倉風の力強い現代日本庭園だ。

この寺の庭は、重森三玲(しげもりみれい)(1986-1975)という作庭家が設計したものだという。

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さて、「書院」という建物の名前だが、書院は本来は書物を読む場所というような意味であり、書斎の機能を持つ建物を言った。だが一般に広まるなかで床の間の意匠の意味合いに変化し、書物を読む場所という機能は失われた。

写真中央の細かい組木の障子がある一段高くなっている場所を現代では「書院」(または平書院)と呼んでいる。そしてこうした床の間のある部屋はたいていは接客に用いられる。

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寺にはほかに「客殿」という接客専用の建物があるので話が面倒になる。書院とは構造のことで、客殿とは機能のことだから、そもそも排他的に区別できる用語ではないのかもしれないが。

当サイトでは、檀家寺で法事のときに檀家を招き入れ、休憩させるような機能の部屋を(構造的に書院があっても)「客殿」と呼び、構造的に書院があり一般客を入れないプライベートな部屋を「書院」と呼称している。(あいまいな場合も多々あるが。)

この寺では檀家が法事をするわけではないので、この部屋は「書院」でいいと思う。

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書院の奥に進んで行くと、渡り廊下があり、そこには中庭がある。

これは「地蔵遊技の庭」という作品で、地蔵が旋回している姿を岩で表わしているという前衛的な石庭だ。

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庭だけでなく、渡り廊下も含めて風景を作り出している。どことなく寝殿造り的なイメージの場所だ。

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渡り廊下を進んだ先は方丈(ほうじょう)になっている。

この「方丈」も、判りにくく紛らわしい呼称だ。元々は1丈四方の狭い部屋で、僧侶の居室の意味合いがあった。だがその後単に僧侶の寺務室の意味になり、最終的には仏像も安置するようになり、寺務室の意味が薄れ仏堂に変化していく。

一方で、多くの寺では庫裏(くり)(=生活する建物)の一室が寺務室になっている。したがって元の意味の「寺務をする部屋」という観点ではもはや方丈を判別することはできない。

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では当サイトではどのような建物を方丈と呼ぶかというと、もっぱら構造的な観点で決めている。

まず、食事や就寝など生活のための部屋を含む建物は「庫裏」であり、たとえ僧侶の居室が含まれていても方丈とは呼ばない。

次に、いわゆる本堂型式の建物は方丈とは呼ばない。「本堂」とは、仏殿と法堂の機能が一体化した建物で、本尊をまつる内陣と、法事を行なう外陣という構造上の区別を持つ建物である。本堂は必ず、参詣のための軸線があり、正面に出入口を持っている。

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庫裏でもなく本堂でもない、広間のある仏堂を当サイトでは方丈としている。

構造的には左写真のように襖で仕切られたいくつかの畳敷きの広間に仏像が置かれることが多い。また本堂のように正面に外部からの出入口を持たないのも構造的な特徴だ。

つまり、この寺の方丈は当サイト的には典型的な方丈建築といっていい。

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この方丈の正面はぬれ縁になっていて、その前には優美な庭園がある。これが本堂であれば、参道から仏像に参詣するための通路や向拝などがあるはずだが、方丈ゆえにそれらは存在していないわけだ。

この庭園は「曲水の庭」と呼ばれる現代的枯山水である。枯山水といいつつ、遣り水を引き入れて寝殿造りの造園要素も取り入れている野心的な作品。枯山水庭園としてはおきて破りであり、ある意味狡いのだが、あざとい日本趣味という感じはなく、素直にいい庭だと思う。この寺で一番わかりやすい庭で、外国人には喜ばれるのではないだろうか。

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方丈の左奥には茶室と思われる建物があった。

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さて、この方丈の裏側に、潮音洞というトンネルがある。これは1654年に当地の代官が錦川の水を引くために掘ったものだ。

長さは360mあり、完成まで4年を要したという。

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現在でもこの用水は取水されていて、この水がこの寺の境内の庭を流れている。

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潮音洞の右側には「蓬莱山の池庭」という小さな庭があった。

寺の全体が庭園化されていて、寺というよりも庭園美術館的な要素も強いが、どの庭も美しく、一見の価値があると思う。近くに出向くときにはぜひとも立寄りたい寺だ。

(2003年09月04日訪問)