赤間神宮

安徳天皇を祀る神社。耳なし芳一の伝説の地。

(山口県下関市阿弥陀寺町)

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赤間神宮は下関市の関門海峡に面した丘の麓に建つ神社。朱塗りの竜宮門は下関市を代表する景観といっていいのではないか。

平家が壇ノ浦の戦いで滅亡した際、平家が擁する安徳天皇は一門とともに入水して亡くなった。その亡骸を葬ってこの地に阿弥陀寺という寺が建てられた。それが明治維新で廃寺となり、その場所に建立されたのが現在の赤間神宮である。

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境内図。

たくさんの社殿が描かれているが、図の右のほうにある「鎮守八幡宮」、「大連神社」、「紅石稲荷神社」は別の神社と見なし、わけて紹介しようと思う。

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赤間神宮でなんといっても目立つのは竜宮門だ。神社にある楼門や八脚門などはもともと仏教の影響だが、それでも多くの神社にあるため神道ともなじんでいる。

だが、竜宮門ってそもそもが中国の禅宗寺院からの流れであり、神社にあるのはどうなの?

でも『平家物語』で二位尼(にいのあま)が安徳天皇を抱いて入水するときに幼帝に言い聞かせた台詞「(なみ)の下にも都の(さぶろう)ぞ」のいう都とは、こうした竜宮の世界なのかもしれない。

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門前には国道9号線が通り、その先はすぐ海になっている。

この前の海峡が壇ノ浦と呼ばれる場所だ。対岸は九州。

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境内に入ると左側に仲見世の平家茶屋がある。

何となく境内の雰囲気は防府天満宮と似ていて、記憶がごっちゃになってくる。いや、冷静に見たら似てないのだけどね。

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境内にあった日露戦役供養塔。

こうした砲弾のオブジェが飾られる慰霊塔は昭和30年代くらいまではよく作られたのだろうが、現代では新規建立はちょっとためらわれるモチーフだと思う。

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茶屋の手前には鼓楼がある。

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境内の右側には参集殿。

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短い石段を登ると正面に拝殿(写真撮り忘れ)と、左手に護符売り場がある。

建物はいずれもRC造で歴史を感じさせる部分はほとんどない。

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竜宮門から拝殿までは高廊下が設置されていた。

これは5月3日(きのう!)行われた先帝祭で稚児や花魁が練り歩いた花道で、たぶん普段の日には撤去されているはずだ。

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拝殿の中に入ると、内部に舞殿のような舞台がある。おもしろい構造だ。

奥に見える唐破風はひとつ拝殿で、境内図によればいまいる建物が「外拝殿」、奥にあるのは「内拝殿」となっている。

本殿は内拝殿の裏側になるので見えないが、流れ造りのようだ。

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拝殿で見かけたシンプルなおみくじ自販機。

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拝殿から左のほうへ行くと、七盛堂という末社があった。おもしろい形の屋根だ。

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同じく拝殿の左エリアにある安徳天皇陵。

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同じく拝殿の左エリアにある、平家一門の墓とされる墓所。

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小泉八雲が執筆した『怪談』に含まれる「耳なし芳一の話」で、芳一が夜ごと平家の亡霊に平家物語を語った場所がここだとされている。

雨も降ったり止んだりでなんだか物悲しいような場所だった。

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墓所の横にある耳なし芳一堂。

参拝している老夫婦が「耳なし芳一ってなに?」と訊いていた・・・

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中には木像の芳一が祀られていた。

ちなみに芳一は実在の人物ではないので、桃太郎の像みたいなものだと考えていい。

(2004年05月04日訪問)