口山のタバコ農家④

親子2代で阿波葉を作り続けている。

(徳島県美馬市穴吹町口山渕名)

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実は、平田家の右隣りの鴨平家も阿波葉農家である。

初めて訪問したのは、2009年7月19日。

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鴨平家は平田家よりも10mくらい標高が高く、500mを超えている。現在、徳島に残る阿波葉農家はどこも山間地だが、その中で平田家は最も標高が高い場所にあるのだ。

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訪れたたとき、おばあちゃんが畑で雑草を抜いていた。ここは麦畑で、これから秋ソバを植えるために雑草をとっているという。

「コバク作りょんはここらでは1軒でわだ、わしらっちとこだけじゃ」

コバクとはこの地方の方言で小麦のこと。

「今年のタバコの出来はどうでしたか?」

「まあまあぜよ、いままではなぁ、これからもう台風がなかったらなぁ、まだわからんで」

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息子さんである現在の当主のご主人が畑から戻ってきたので案内してもらえることになった。

鴨平家の主屋は草屋根にトタンを巻いたもので、庇を出していない。つまり純然たる寄棟屋根。出し梁造りやせがい造りみたいな持送り構造もない。その代わり、屋根が分厚くて、軒がかなり出ているので、結果として雨が吹き込まないようになっている。

だが、軒がとにかく低い! これは口山の民家全般に言えることなのだが。

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外周に濡れ縁はなく、雨戸と3本ミゾの障子の中は座敷になっている。驚くべきことに、障子戸の上から1/3くらいの高さまで軒がかぶさっている。

一般論として古い民家の特徴を持った主屋だ。

ご当主によれば、これでもトタンを巻く時に軒を切ったのだという。とても固い茅葺き屋根だったのでチェーンソーで切り戻したという。

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ご当主の祖父は屋根葺き職人だったという。鴨平家の先祖が屋根葺きだったという話は他の農家でも聞いたことがあるので、もしかしたら口山の屋根はすべて鴨平さんの祖父が手がけたのかもしれない。

春に収穫した小麦の藁が納屋に残してあった。昔は屋根の補修でカヤの下に差し込んだりするのに使ったという。今は農作物などを簡単に結束したり、焚き付けに使うという。

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藁は藁グロにして来春の肥にする。

畝内には藁と広葉樹の葉を入れて草除けにするという。

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現在、鴨平家の作付けは10アールほどだが、最もやったときには55アールほどタバコを作った。

そのころはとても忙しく、大人が畑で葉を収穫し、子どもはそれを運んだり縄に編み込んで稲架(はせ)たりしたという。

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乾燥室を見せてもらう。

乾燥機は下屋の別室に収納されている。

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乾燥室の内部。ダクトが天井側にもある。

いまはまだ収穫量が少ないので乾燥室は使わずに庭の干し場だけで済んでいる。使うときは2段で吊るそうだ。

野外でビニールの資材(温蒸パック?)で包んだだけでも発酵工程はできるそうで、量が少ないのであれば乾燥室の出し入れはしないそうだ。

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下側のダクトは元山家で見せてもらったのと同じなので、キハラ製なのかな。

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干し場は主屋や納屋の前。

手前側の黄色い葉はきょう干したものだ。

いまのところアカバ取りといって、畑で色づいた葉を収穫している。

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続いて蒸屋(むっしゃ)を見せてもらう。

現在はタバコを入れることはなく、倉庫になっているという。

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内部は2間四方で、吊り木は6段。

55アールやったころにはここすべてを使わないと入り切らなかったが、いまはビニールの資材があるし、両親が年を取ったので高いところに吊るのは危ないので使わなくなった。

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全盛期には多段に吊るだけでなく、吊るときの葉の間隔も狭かった。指2本分の「2本ぶせ」という間隔で葉を並べていた。いまでは「3本ぶせ」だという。

現在のようなS字の金物は使わず、縄を吊り木に直接結束していたそうだ。

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中から見た感じ、改修はされていないので、これが蒸屋の本来の架構と考えてよさそう。

換気用天窓は妻側の両サイドにあり、大棟部分には換気用の櫓はない。

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もう4~5日したら、アオバ取りといって実の入った青い葉を取り入れることになる。「実が入る」とは葉が十分に育ち厚くなることで、太い葉脈が白くなることでわかるそうだ。

「青い葉を取って、ビニールに包んだりハウスに吊って押し付けて、3日くらいで黄色になったら外に出して天日干しする。もし青いところがあればまた押し付けて・・・」

忙しい日々が始まる。

タバコ農家にとって一番心配なのは台風。なので台風シーズンとなる9月になる前に収穫を終らせてしまいたい。今年は春先から雨が少なかったから、定植も成長も遅れている。例年より8日くらい遅いという。8月にも台風がくることがあるのが心配だという。

日常の雨も困る。畑にいて西の空が暗くなったら家に走って戻って葉を取り込まなければいけない。葉の乾燥がすべて終るまでは気が抜けない期間が続く。

話が長くなってしまい、すっかり夜になってしまった。吉野川北岸の町の夜景がずいぶん遠くまで見えていた。

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次の訪れたのは2009年8月16日。

心配が現実になってしまった。8月上旬から雨模様の天気が続き、8月8日~9日に台風がゆっくり通過したため大雨となり、県内全域に被害が出たほどだった。

それから1週間。となりの平田さんの畑でも被害が出ていたが、鴨平さんの畑にも病気が発生してしまっていた。

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ただし、鴨平家では病気が蔓延するまえにすべての葉を収穫できた。

ご当主もまだ若いし、ご両親も編み込みや乾燥をしていて実質3人で働いているから平田家よりも速く作業できたのだった。

これは健康な茎の断面。

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これが空洞病を発症した茎の断面。中が腐ってしまっている。

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ご当主は幹をすべて切り落としていた。

理由は聞き忘れた。畑を片付けるとき、マルチをはがしやすくするためか。

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家の敷地いっぱいに干し場が広がっていた。

木と竹で作られた干し場。しかも下が土のまま。

簡素に見えるけれど、この家ではこうするのが一番効率がいいという形なのである。

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このあたりの色鮮やかな葉は、屋外で黄変させているところ。

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梁に巻き付けてあるビニールは専用資材。

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乾燥し過ぎの葉があればこんなふうに使う。

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干し場の片側の柱は敷地の外の崖下のモロコシ畑に掘っ立ててある。

とにかく平地が貴重なのだ。

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連縄の端はS環。

これもタバコ用の金物として市販されたものだろう。

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軒先ではご両親アオバを編み込んでいた。

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来年にはもう阿波葉は作付けできないから、いまここに置かれている葉が本当の意味での最後の仕事になるのだ。

(2008年06月30日訪問)