上奥平の百庚申は、山の尾根に沿って様々なタイプの庚申塔が並んでいて、巡礼空間的な作りになっているのが特徴であろう。丹波地方などで見られるミニ四国霊場のようなものが、庚申塔で構成されているのである。
ただし、一般的な庚申信仰は巡拝ではないので、このように多数の庚申がどのような信仰形態で祀られていたのかはよくわかならい。
この上奥平の百庚申は、高校時代に友人と自転車の遠乗りで遊びに来てはじめて知った。上奥平まで自転車で上がるだけで息が切れるのだが、あまりに面白い物件だったので、さらに山を駆け上がるくらい興奮したのを覚えている。以来、私にとってここは百庚申を代表する、メッカのごとき聖地なのである。
庚申塔の文字や形状は一様ではないのも評価ポイントだろう。
巡礼空間では、型で抜いたような同じ形の仏像や石塔が並んでいると興ざめしてしまう。
親庚申と呼ばれる、中心的な石碑。
裏側には、寛政12年の銘があり、この霊場は江戸末期に作られたものだと考えられている。
庚申塔というと、青面金剛などの神像を刻んだものもあるが、このような文字だけの塔は江戸時代中期以降に盛んになったとされているので、この霊場が成立したのが江戸末期と考えるのは妥当だろう。
親庚申の近くにある、御嶽大神の石塔。
同じく、八海山大神と書かれた石碑。
いずれも山岳信仰の神々である。
周囲は、コナラを中心とした落葉広葉樹林。
薪山だったのだろう。
伐採されて萌芽更新で再生されてきた樹形の木が多く見られた。
(2008年12月29日訪問)