口山のタバコ農家②

タバコ一筋にやってきた専業の阿波葉農家。

(徳島県美馬市穴吹町口山西谷)

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口山には5戸のタバコ農家が残る。新水家のお宅はその中で一番北にある農家だ。村を周回できる車道からは細い私道を800mも入った行き止りの場所にあり、教えてもらわなければおいそれと入っていける場所ではない。

口山のタバコ農家については元山さんからすべて紹介してもらった。村で初めての農家へ行くときは、顔の広そうな人からの紹介で行けば警戒されることもなくすぐに打ち解けて受け入れてもらえる。

それにしても静かでいいところだな。市街地の家並みはどこにも見えず、騒音もない。ひぐらしの声だけが聞こえている場所だ。

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新水家の敷地は一番奥に主屋があり、手前方向に納屋、蒸屋(むっしゃ)、乾燥室、納屋、倉庫と並ぶ。

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ほとんど平地がない場所なので、わずかな土地に建物がギチギチに建っていて、車を止めた場所からはこんな細い通路を通らなければならない。

この白い波板の建物が在来種タバコ「阿波葉」の乾燥室だ。こちらでは「ハウス」と呼んでいた。

土蔵造りの「蒸屋」と、波板張りの「ハウス」は時代の違いだけで機能的には完全に同じものかと思っていたが、話を聞いてみると使い方に違いがあるようだ。

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タバコ畑は家の敷地より高い場所に作られている。

タバコ畑は現在20アールほどあるそうだが、全盛期の昭和38~50年頃には最大60アールのタバコ畑があったという。

現在は周りを杉林が囲んでいるが、これはここ数十年のもので、それ以前は風景が違っていたのではないかと思う。

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畑の写真を撮らせてもらおうとしたら、危ないから足下に気をつけて、と言われた。

大げさだなと思ったが畑まで行ってみて理由がわかった。すごい傾斜なのだ。雨上がりなどに足を滑らせて転んだら止まらないような斜度なのである。

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畑は北東向きで、周囲が杉林なので日当たりがいいとは言えない。土成町あたりの黄色種の畑とはかなり条件が違う。

いつもしっとりとした山の空気に包まれた場所で、こうした場所が阿波葉に合っているのではないかという気がする。

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納屋と主屋の前の庭は干し場になっている。こちらでは「干場(かんば)」と言っていた。柱を立ててタバコの葉を外気に晒しながら乾燥させる場所だ。

いま干場には2種類の葉が出ていて、右側の茶色の葉は発酵が終わって乾燥させている「カワキハ」、左側の黄緑色の葉はいま黄変させている途中の収穫して間もない葉だ。

急傾斜に石垣を積んで作られた敷地のほぼすべてが干場になっている。大規模にやっていたころは、この面積だけでは足らず、畑の中にビニールを敷いて並べ、上からさらにビニールをかぶせて黄変させたという。

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葉の収穫は葉が緑のうちに収穫する「アオハ取り」、黄色くなってきてから収穫する「アカハ取り」がある。全盛期には葉の収穫は大人の仕事で、子どもが連縄に葉を編み込んだ。早朝から家族総出で働いた。

収穫した直後の葉は2時間くらい干すと葉がしんなりしてくるので、そうしたら蒸屋に入れる。そうすれば2~3日はそのままにしておけるので、次の葉の収穫にかかれる。

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蒸屋で葉が黄変したら、干場に出してさらに乾燥を進める。連縄にかけて外気で乾燥させる作業をこちらでは「稲架(はせ)る」といい、この工程に10日くらいかかるという。

その後はハウスの下段に入れて休ませたり、また出したりして、中骨が半乾きになったらハウスの上段に入れる。梅雨が終わり好天が続くとハウスの中の葉はすぐ乾くから、乾いたら納屋の2階に入れる。

これを流れ作業のように進めながら、畑の葉を順番に掻いていくのだ。

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これは畑から葉を運搬するのに使う「(もっこ)」という道具。おかあさんの話ぶりだと先代の年寄りが作ったものを使い続けていて、自分では作ったことがないようだった。材料はシュロの皮だという。

若いころに規模を拡大したときには、畑の作り方から乾燥させるのにもずいぶん失敗して、お金にならなかったこともあったという。

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戦後は山の生活にも現金が多く入り用になり、タバコを増産するなかで、それぞれの農家が自分なりのノウハウを作り上げていったのだ。

農作業は標高が違えば作業スケジュールも違ってくるし、畑の形や傾斜、施設の面積や導線などもそれぞれだから、作業を単純に標準化できるものではない。

この(もっこ)についても、畑の中まで軽トラで入っていけるような農家なら他の資材を使うだろうとのこと。

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蒸屋を見せてもらう。

こちらの蒸屋は屋根に小さな煙出しがついている。

ほかに2階相当の高さに窓。

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蒸屋の内部。

内部は吹き抜けで、1階相当の空間には1段にアオハが吊ってあった。収穫して1回乾燥させただけの葉かな。たぶんこのままこの場所で黄変させていくのだろう。

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上を見上げると、褐変した葉が保管されている。

室内の吊り木は6段あるが、現在は2階相当の空間に1段、1階相当の空間に1段を吊っているだけだ。むかしほど大量にやらないので、無理に高いところで作業をしないためだという。

完全に乾いたらここから運び出して納屋の2階に移す。

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蒸屋は、青い葉を黄色にするときと、干場で乾燥が終わった葉を収納するときと2回使われる。

そのとき、建物の上のほうほどよく乾くそうだ。

上のほうがよく乾くといっても、湿度が高いと吊った葉にカビが発生することもあるので、秋の好天の時は窓を開けて換気したり、長雨のときは薪ストーブを焚いて湿気を排気したりしなければならない。

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続いて、乾燥室のほうへ。

新水家では乾燥室を「ハウス」と呼んでいる。ハウスは中に自然光が入るので、好天が続くときはとてもよく乾くという。

蒸屋と使い方は似ているが、出し入れの作業性がよいので、ここに入れた葉は入れっぱなしではなく、ときどき干場に出すという違いがある。どちらかというと一時的な収納場所として使うようだ。ただそれとて、新水家独自のルールなのかもしれないが。

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こちらが雨の日に使う薪ストーブ。いわゆる豚ストーブというやつだ。

大型の乾燥機もあったがいまはこちらを使っているという。

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納屋に張られていた『煙草一代』という歌。雅号からしてご主人が作ったのだろう。

煙草一代

一、
煙草作り一筋に やって来たんだ山村農家
夢も希望も心にそっと 朝星夜星力の限り
煙草作りが我等のかてと 働く一字を道づれに
家族そろって煙草作りで生きて来た。

二、
暑い乾燥 霜夜の調()理 暑さ寒さは季節の流れ
過ぎてしまえば昨日の様な 厳しい時代も煙草と共に
大人も子供も共に仕事に励み 此れが農家の生きる道
心に決めて煙草一すじやって来た。

三、
冬は()納に出て行くからにゃ 何がなんでも作らにゃならぬ
煙草作りは年寄子供のおかげで出来た
今で思えば家族に感謝の気持ち捧げます
大人も子供も精一杯励んだ煙草作りがよみがえる。

四、
先祖傳来何百年 やって来たけどあと一年
時代の変遷 無念残念 どうにもならぬ
春は緑りが山おおい 両岸一面煙草畑 昭和中期が走馬燈
此々にきて煙草の歴史が終ります 煙草産業有難う
煙草の歴史に手を合す。

平成弐拾年六月十八日  水新龍清郎

※調理=乾燥した葉の形を整えたり品質別に仕分ける作業。収納=乾燥した葉タバコを専売公社等に納入すること。

(2008年06月30日訪問)