志和(しわ)稲荷神社。
この神社は昨日の夕刻にも一度参詣したのだが、明るい時間帯に来てみるとまた印象が違うのでもう一度参詣することにした。
一の鳥居は神社から300mくらい離れた道の途中に立っている。実は志和には志和稲荷神社と志和古稲荷神社という二社がある。普通に道なりに行くと手前に古稲荷があるため、ややもすると古稲荷のほうだけ参詣して帰ってしまう参拝客がいるかもしれない。
そのような参拝客が出ないようにするため、古稲荷の前を迂回して直接奥にある志和稲荷へ参詣する道が作られていて、鳥居はその迂回路に参拝客が流れるようにするためのアイキャッチャーなのであろう。誰だって鳥居のある道とない道があれば鳥居のある道を通って参拝したいだろうから。
しばらく進むと志和神社の門前に着く。水げんかの舞台でもあり、ここにある狐は四体とも耳が欠けている。
門前の駐車場に車を停め、砂利の敷かれた参道を進む。両側は杉林でおちついた雰囲気だ。
途中には神楽殿がある。
神楽殿を過ぎると社務所がある。
祈祷の受付、護符の販売などをしていて、禰宜が常駐している。
社務所の前で参道は右に折れ曲がり本殿への石段になる。
石段の両側には水盤舎、神馬舎がある。
鳥居には茅の輪(ちのわ)が付けられていた。夏越しの祓いの時期に神社の鳥居に取り付けられる厄除け用オプションである。一般には茅の輪というくらいだからカヤで編まれたものが多いが、ここでは藤蔓で編まれている。
茅の輪は単に通り抜けるだけでなく、左右にループするような軌跡を描いて潜るのだという。
そう聞くと、回転系信仰装置が好きな私がいかにも喜びそうなのだが、茅の輪の構造自体が強制的に参詣者の動線を作りだすのではなく、参詣者が自分で円運動をしなければならないという点で、いまひとつ熱くなれない装置なのである。
神馬舎の横には、寿命神という小祠があった。中風の神様で自分の痛いところをさするとよくなるという。
神馬舎の馬。
石段を登ると拝殿。
拝殿の裏は本殿。かなり大型の本殿だ。
拝殿の右側には十二支の守護神の祠がアパートのように並んでいた。
拝殿の左側は山の神のようなコーナーになっている。大きな釜が置かれている。
その周囲には白木の柱が立っていて、なにか赤い箱のようなものが取り付けてある。
さらに境内を左にいくと広場があり、自動車の祈祷所があった。
祈祷所の前には稲荷舎がある。
(2001年08月12日訪問)