桂浜神社

絵馬堂と拝殿が石の間で接続する不思議な配置。

(広島県呉市倉橋町)

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桂浜に来たもう一つの目的、桂浜神社。

海岸に向けて鳥居が立っている。船乗りたちに信奉された神社だったのだろう。かつては海から参拝したのかもしれない。

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海岸には大きな小屋があった。

「マス席有料」という看板があるが、これがマス席?

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石でできた反り橋を渡り、車道を横断して境内へと進む。

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境内は少し高台になっている。

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拝殿らしきものが見えてくる。

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が、拝殿と思ったものはどうやら絵馬堂のようだ。

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絵馬堂の内部。

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絵馬堂の背後は拝殿になっていて、石の間(=通常なら拝殿と本殿を接合する通路のようなもの)でつながっている。

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本殿はその背後にあった。

つまり、この神社では絵馬堂→拝殿→本殿と3つの社殿が縦に並んでいるのだ。

本殿はこけら葺き、三間社流造で国重文。

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この本殿は造りが変わっていて、流れ破風の部分(つまり、正面の軒のようなところ)に壁があり、室内になっている。通常、この部分は吹き放ちの外部空間なのだ。

写真の左側の柱は「本柱」で円柱で普通。右側の柱は「向拝柱」と言って、通常は角柱になるのだが、この本殿では向拝柱も円柱になっている。つまり、最初から向拝柱までを室内に取り込む設計だったのだろう。

虹梁(ゆるいS字になった白い梁)は、存在意義があまり感じられない。

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本殿の右側にあった末社。

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本殿の左側にあった神庫。

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本殿の背後にあった末社。

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このあと、あまり目的もなく倉橋島を一周りしたが、これと言って立ち寄るような場所も見つからなかった。

いや、厳密に言えば、何も見つけられなかったというべきだろう。めずらしく朝食を食べ、比較的早い時間から稼働したのだが、だるくて集中力に欠けているのが自分でもわかる…。朝の10時ですでにエネルギー切れか。

今日の予定は、これから江田島に移動して、旧海軍兵学校の校舎を見学したり、砲台跡めぐりをするつもりだったのだが、2日目の大久野島のきつかった記憶もよみがえって、砲台はもうどうでもよくなってきた。頭の中には、

「ゴメン、とりあえず休ませて」

…そんな言葉がぐるぐる回っている。

江田島からは広島港へ渡るフェリーがいくつかあるが、調べてみるとちょうどよい時間の便もあるではないか。フェリーの待ち時間と船上で休憩すればなんとか回復するかも、と自分に言い聞かせてフェリー乗り場へと向かった。

(2002年08月29日訪問)