市街地の食堂で職場の人に夕食をごちそうになったあと、「寺、見たい?」と訊かれた。そんなに寺に行きたそうな顔をしていたんだろうか?
時間はもう夜の7時近くあたりは真っ暗だったのだが、食堂のすぐ近くの寺へ連れて行ってくれた。
境内は四角形で三方の入口からは屋根の付いた廊下が続いている。境内はすべてタイル敷きで広場のようになっている。
この寺は、民主化運動が盛んだったころ、市民が集結する場所だったという。
逓減する層状の屋根を載せた建物はちょっとタイの寺に似ている。タイのスタイルは切妻の棟を重ねるのに対して、ミャンマースタイルは宝形の屋根を重ねるという点が特徴だ。
こんなふうに夜でもお参りできるのが、ミャンマー寺のすばらしいところ。
日中は暑すぎるので、夜にお参りするというのもけっこうあるようだ。
渡り廊下はすべてタイル敷きになっている。つまりこの寺では、道路から敷地に立ち入る瞬間から裸足にならなければならないのだ。
寺のどこで裸足になればいいかというのは、最初は戸惑うが、慣れてくれば雰囲気でわかるようになる。
脱ぐ場所が微妙な寺では、現地の人もサンダルのまま歩いてしまったりするので、外国人の多少の失敗など気にすることはない。
本堂の大仏殿はガラスのドアがついている。内陣はエアコン完備なのである。
ドアの前には脚立が立ててあって、何かを組み立てているのか、解体している最中だった。
脚立の前には柱があり、ハチに水が入っていて、サカキのような枝が浸してあった。
たぶんこの枝で、柱の上に置かれる何者かに水を振りかけるのではないかと思う。
大仏殿の内部。
黄金に輝く大仏が鎮座していた。高さは基壇含まず座高で、6mくらいであろうか。
光背は当然のごとくLED。
現在ではLEDはどこにでも使われているが、まだ青色LEDが珍しく高価だったころにすでにミャンマーではふんだんにLED光背が使われていた。この光背にしても、一面にLEDを配列しているのでかなりの金額の装置のはずだ。
ミャンマーではLED光背には金を惜しまないのであろう。
境内の片隅には、おっぱい型パゴダがあった。
「おっぱい型パゴダ」とは、読んで字のごとく、白色でなめらかな形をしていて、頭頂部に小さな突起を置いた形式のパゴダのことである。典型的なのはサガインのカウンムードパゴダだ。
ここは野外だが、廻りがタイル敷きなのでまったりとくつろげる。カップルがデートに使っていたりした。
私も守り本尊の「牙のないゾウ」に礼拝。
南門を出てみると、そこには左右にカエルの像が。
ミャンマーの寺の門の両側にはライオンがあることが多いのだが、ここではカエルなのだ。カレン州ではカエルは神聖で強い動物とされている。特に、3匹のカエルが重なった造形は、王族のみが使うことがゆるされるシンボルとされている。
境内にはほかに僧房、私設消防署(写真)があった。
なお、本稿で「○○寺院」という表現を初めて用いた。
本サイトでは、ミャンマーの寺を「大仏、パゴダ、洞窟寺、僧院、寺院」の5区分に分けるつもりである。
この寺の名前は「○○パヤー」。文献やBlogによっては「
国語辞典によれば「パゴダ」は「ミャンマー式仏塔」と明示されている。建造物の種類を表す言葉としてすでに日本では定着しているのだ。したがって語源がどうであれ、日本語の文章の中でのカタカナ表記の「パゴダ」は「寺」ではなく「仏塔」の文脈で使うべきである。
しがたって本サイトではミャンマー語の日本語訳は「
その上で、お寺を紹介するときは中核施設が何であるかということを最も重視し、中核施設が大仏なら「○○大仏」、中核施設が仏塔なら「○○パゴダ」、中核施設が洞窟なら「○○洞窟寺」、僧房や学校(修行)が中心であれば「○○僧院」とし、いずれにもに該当しないものを「○○寺院」と呼ぶことにしようと思う。
つまり「○○寺院」は、伽藍の中核が仏堂である参詣用の寺の呼称である。日本で身近にある「寺」と同じものととらえてもらっていい。
だが往々にして複数の特徴を同時に持つ寺が存在する。たとえば参詣用の施設を持ち、かつ、修行僧もいるというような寺があった場合は迷うところである。そのようなときは、どの要素が強いか、境内に入って正面に何の建築物があるか等で判断する。どちらとも判断できない場合は、山門の扁額にある記載を尊重する。
また、例外として観光ガイド本などにすでに名前が広まっている場合は、検索の利便性からガイド本の記述に従う場合もある。
(2014年01月22日訪問)