仕事の用事でパアン市郊外の村にある僧院を訪れた。
パアン市の郊外は、低地は広々とした水田や畑、山のふもとの水が少ない地帯にはマンゴーやゴムの農園が続いている。
僧院の総門。総門とは寺の境内の一番外の門であり、道行く人に「ここは寺ですよ」と示す機能を持っている。
コンクリでできた鳥居みたいなプラットホームの上に、コンクリ造形物(この場合はゾウ)が載っているという構成は、このあたりで何度か見ることになる。
山門に掲げられているミャンマー語は読めないが、左端の4文字はミャンマー数字であり「1358」、右端はアラビア数字で「1996」と書かれている。1996年にこの門を建てたという意味であろうか。
門の中央に掲げられているのは、カレン族のシンボルマーク。陣太鼓と水牛の角。
太鼓の皮面に当たる部分に小さな黒いリボンのようなものがあるが、これはカエルの形をした釘隠しである。王族だけが使用できたシンボルというような話をきいた。
このときは参詣目的でもなかったので、パゴダは遠くから軽く写真を撮っただけだった。なんだか、柱のいっぱいあるアンテナみたいなパゴダだ。
このパゴダの形式が珍しいものだと気付いたのは、かなり後になってからだ。
これは後日、市内の民族博物館で見た「レーケーの祭壇」という祭具。これは小型のものだが、裕福な者が作るときは大きな祭壇にするのだという。
「レーケー」とはパアン市付近で1860年ごろに発生した仏教系の新興宗教らしい。つまり僧院は、レーケーの流れを組む寺だったのだ。
寺の名前は聞きわすれたので、とりあえず「レーケー僧院」と呼ぶことにする。
寺務所だか庫裏だかわからないが建築中の建物があった。このように、調達できた材料で建築を進めて、作りかけのまま放置しておくのはミャンマーではわりと普通の風景。
寺の裏手にはびょうぶのような、平たくて急峻な山脈が続いている。
この山はズェガビン山といって、カレン族の仏教の聖地なのだそうだ。
よく目を凝らすと、山頂にパゴダ群があるのが見えた。
現地の職場の人が「そのうち登るとイイヨ」などと言っていたのを、そのときは冗談だと思って聞き流していたのだが・・・。
境内にはほかに、地元の人の職業訓練校がある。
機織りを教えているという。
高床式住居の床下で高機を、2階に原始機を教えている。
床下はのタタキで、機は土の上に直接置かれていた。
機に座っているのは、どうやら寺のお坊さんらしい。
ただ変わっているのは、
素朴な手仕事の機というより、より生産性を高めるために進化した産業用の機に見える。
織っている布はこんな感じ。
こういう布で出来た商品、ブティックでも売ってたよね。
半幅帯みたいな鉢巻きを同時に4本織り進めている。
綴れ織りみたいに4列を織っているけれど、これ4倍の長さで整経して1列を飛び杼で織ったほうが早くない? あまりメリットが感じられないんだけど。
踏み木は竹で出来ていて、足の指の股で挟んで操作していた。
2階では
原始機とは高機のような骨格がなく、このように竹の棒と身体だけでタテ糸を支えて布を作る技術である。
これはいわゆる輪状原始機というタイプで、タテ糸はハサミが入っておらず、キャタピラーのような形状の筒になっている。
こちらはかなり長い布を輪状で織っている。織り幅も広い。
一般的な機には
ところが輪状原始機には筬がない。ヨコ糸を入れるときの力加減で布の幅が変動してしまう可能性があるので、広幅の布を織るには熟練の技術がいるのだろう。
輪状原始機の整経の様子。
両端1.5mほどの幅の竹の棒の間に糸を巻いていく。このとき綾も取り、糸綜絖も入れていく。したがって整経が終われば綜絖通しも終わっているという仕組み。きわめてシンプルで最小限の道具しか使わないが、よく考えられている。
環は折り幅で1.5mほどだから、織り上がってハサミを入れれば長さ3mの布になる。
原始機のパーツ一式。
地域的な特徴などがあるのか、私が見てもわからない。
でも見たところ
(2014年01月22日訪問)