
サルウィン川にかかるサルウィン・パアン橋。ヤンゴン方面からAH1号線を通ってパアン市に入る直前にある大きな橋だ。その橋の西詰めをサルウィン川に沿って3kmくらい南下したところに、コーゴン洞窟寺とヤテピャン洞窟寺という2つの洞窟寺院がある。
どちらもパアン地区を代表する観光名所である。きょう最後の訪問地になりそう。

洞窟へ向かう途中の道ばたで見かけたカフェ。
左が住居兼駄菓子売り場で、右側がカフェになっている。こんな感じのお店が道々にけっこうあるのだ。

これは農村ではちょっと裕福な家のたたずまい。レンガ造りで中国ふうの住宅。

コーゴン洞窟寺がある独立丘陵。
このように平野から山が突然に突き出している。パアンではこうした独立丘陵のほとんどに何かしら寺があるようだ。

お寺に到着。
総門は山廊付きの一間一戸楼門。これはもう「楼門」とい言ってしまっていいだろう。
楼門の二階には、中央に仏陀がいて、その廻りを神々が取り巻いて合掌している。
この寺は山門の下からモルタル敷きになっているので、門の先は裸足にならなければならない。

総門を過ぎると巨大な白いライオン。
その前には駄菓子の露店が出ていた。

この寺のある崖には彫刻や文字が刻まれていて岩陰遺跡のような扱いになっている。
拝観料もあったが、代表者がまとめて払ったため金額はわからなかった。たぶんせいぜい1,000チャット(約80円)くらいだろうと思う。

途中の寺務所の裏手に、煉瓦積みの石段が見えた。
これ、もし日本だったら絶対登るんだが・・・。

現代的な水がめ。
こういう清潔な水がめでは、現地の人がよく水を飲んでいる。
日本人が飲んでおなかが大丈夫かどうかは不明。

入口に観光案内板があり、表側はミャンマー語、裏側には英語で解説があったのだが、「ここにある仏像や壁画はバガン朝後期(13世紀)の仏教史の研究上重要なものだ」というようなことが書いてあるだけで、どのへんがどう貴重なのかはわからなかった。
それでも年代が書いてあるというだけでも、ミャンマーの観光案内板としてはかなりすごいことだが。

崖の上部には磨崖仏があり、下は現代の仏像。
遺跡といっても、ここは寺なので後の時代にも仏像が増築されていて、古いものと新しいものがまぜこぜになっている。

見上げると、かなり高いところまで細かく
見慣れない光景でもあり、圧倒される。

仏龕の拡大。
ひとつひとつは20cmくらいの大きさ。
漆喰で貼り付けてあるのでところどころ剥落している。

あとで知りあった現地の人がこの洞窟についての論文を出版していて、それをプレゼントしてくれた。
その論文によれば、この仏龕は信者が奉納したもので、主な年代は15~17世紀だという。それよりずっと新しいものもありモルタルで貼り付けられている。
日本でいえば絵馬のようなものだ。

磨崖仏。
右には涅槃仏、中央は立像、左は座像。
色々な仏陀が表現されている。

磨崖仏の近影。

崖の前には建物の壁があって、狭い通路のようなところを進んでいく。
観光ガイドなどに掲載されるコーゴン洞窟寺のメインビジュアルだ。

右側の建物の屋上に登れるのようだ。仏龕をより近くで観察できそう。

登ってみた。
屋根の上にもパゴダや寝釈迦がある。

この柱はたぶん元々は鍾乳石だったのだろう。モルタルを塗って仏龕をはめ込んでいったのだ。19世紀末の写真にすでに写っているので、少なくとも現代のものではない。
日本でも修験道の行者などが鍾乳洞に籠って修行するということはあるが、鍾乳石をデコレーションするという例は見たことがない。

それにしてもこの屋根の上、誰も来ていないな・・・。
小石が散らばっていて、足の裏が痛い。

建物の屋根から降りて、洞窟のほうへ。

一部分、鉄格子がしてある場所がある。
この中にはモン族の古代文字の碑文がある。年代は5~6世紀ともいう。年代判定が確かならば、ミャンマーに仏教が伝来する以前のものであろう。

これがその文字。
何が書かれているのかは解読できていないそうだ。
見た目は現在のミャンマー語の文字に似ているが、そもそもミャンマー語の文字自体がモン族の文字が元になっているという。この文字は、古いモン文字の一種なのだろう。

もう一箇所、鉄格子がしてある場所がある。
ここには特に古い仏像が置かれている。

これがその古いとされている仏像。
上半身の衣が透けるようになっていて、ミャンマーの仏像とは違っている。
なんとなく、クメール(現在のカンボジアとタイ)の仏像に似ているような気がする。

さらに先に進むと、崖がくぼんで洞窟状になっている。
その入口付近にあった大仏。
大味にできているので写真で見ると大きさは感じられないが、高さ5mくらいはある。

その右手にあった、物語が彫刻されいてる岩。
フルカラーで塗られているのがおもしろい。

洞窟の最深部。
このように外の明かりが届くほどしか奥行きはない。最深部で50mくらいだろうか。
右奥のほうに支洞を思わせる暗がりがあるが、そこもあまり深くはなかった。
ここは鍾乳洞というよりやなり岩陰遺跡なのだ。

一番奥の寝釈迦の前にじゅうたんが敷いてあったので、そこで拝礼した。

洞窟の奥から洞口を見たところ。

ここはただの洞窟遺跡ではなく、現役のお寺でもある。
修行僧もいそうだ。
(2014年01月23日訪問)