ウィンセントーヤ寝釈迦・胎内

胎内は三層で無数のジオラマがある。

(ミャンマーモン州ムドン)

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ウィンセントーヤ寝釈迦参拝のつづき。

これから釈迦の胎内に入っていく。枕にしているビルから入ると、最初にいきなり工事現場のような場所がある。奥に見えるのは大仏の目玉の交換パーツ。

ここでは若者が集まっていて、セメントをこねたりして大仏のパーツを作っている。大仏の中までバイクを乗りつけて停めてあるのが若者らしい。

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少し進むと仏陀がいる部屋があり、みんなここで拝礼をしていた。

ここは天井、壁、床、すべてが完成しており、掃除してあるのでひざまずいても大丈夫。実は、大仏の胎内でもっともキレイに清掃してある部屋である。

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この部屋には寄進所があった。床のタイルを寄進できる。

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ここから大仏の胎内を進んでいくのだが、分岐や階段があって迷路のよう。

たぶんこの階段は登れば近道になるのだが、順路に沿って進もう。

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内部にあるのは想像どおり、無数のジオラマ。

以前にも書いたが、物語がわからないものが多い。

きょうは休日で通訳さんも同行していないから、ある程度自分で物語を想像しながら鑑賞するしかない・・・。

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「おまえいい女だな。来い、王にお仕えするのだ!」

「ワシの娘に何をする!」

「うるさいジジイめ、ボカッ」

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村々から集められた美女たちは、王のハーレムへと連行される。

そこで美女たちは全裸にされ、王の慰みものにされていたのであった。。

・・・しかし神はこのような非道を決して見逃すことはない。

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そのころ、村には地獄からの使者が現れていた。

「この村には若い娘がいないがどうしたわけだ」

「ハイ、王にさらわれまして」

「それは捨て置けんな」そう言うと使者は王宮へひとっ飛び。王や家臣たちを地獄へ引きずり込むのであった。

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「グサッ」

「目がぁ、目がぁぁぁぁぁぁ」

「ガブッ」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ」

地獄に引きずり込まれ、動物に目をえぐられたり、脚を食いちぎられる王とその家臣たち。

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ここは溶岩地獄。

「ひぃぃぃぃぃぃぃ」

どうやらハーレムの美女も、巻き添えで地獄に引き込まれた模様・・・

地獄ってほんと怖い場所なんだよ。という教訓である。(ほぼ適当)

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地獄のジオラマは妙に充実している。

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薄暗い室内にひたすら続く地獄はちょっと気味が悪い。

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めずらしい海の地獄。

海ヘビとかノコギリザメなんかに責め立てられていた。

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トゲトゲの木地獄はまだ造成中であった。

これはトゲ生えた木に登らなければいけないという地獄で、日本でいう針山地獄である。

こんな具合で、胎内の一階はほぼエログロゾーンであった。

胎内にあるジオラマの点数は実際はかなり多く、すべてを写真に撮ったら、それだけでサイトがひとつ出来てしまいそうなほど沢山の部屋がある。

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寝釈迦の足首まで来た。

このあたりはまだ工事中で、床にもコンクリ片が散乱している。参詣者は裸足なのだから、もう少し掃いておくとかできないのだろうか。

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どう見ても工事現場みたいな場所で、日本の感覚では「この先は立ち入り禁止じゃないか?」としか思えない。

だが、職場の女の子たちは、

「んー、次はこっちだったよネ」

「そう、こっち」

と平然と進んでいく。ここが折り返し地点のようだ。

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寝釈迦のふくらはぎの中を通って戻っていく。

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まだ作成中の像が多い。

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二階の腰のあたりからまたジオラマコーナーが始まる。

ここは田の字に区切られた部屋が無数にあるので、とてもすべての部屋を見尽くせない感じだ。

職場の人たちも飽きてきたのか飛ばしながら進んでいく。

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二階はたぶん、釈迦と仏教の誕生の物語の展示だったと思われる。

この辺からは多少、見たことのある内容も出てくる。

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三階へ。

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三階にも無数のジオラマがある。

どれも力作なんだけど、正直、私も飽きてきていた。

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三階では大仏の背中から裏側のバルコニーに出られる場所がある。

室内のジオラマコーナーではあまり写真を撮っていなかった人々が、急に記念撮影を始めた。

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バックにあるのは、古ぼけた大仏。

有名なものなのだろうか。たとえば、この寺が出来たときに最初に造られた仏像だとか?

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三階のジオラマを見ながら、また脚のほうへ歩いていく。

四階への階段らしきものもあったが柵で塞がれていた。

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三階を見終わって二階に戻ったのだが、正規のルートを見失ったのか、さっき通った場所を同じところを通りながら出口へ向かうはめになった。

二階は田の字配列なので、片側の部屋を見てから三階に行き、二階に戻ったら残りの片側を見ると一筆書きで参拝できそうだ。

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出口だ。

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胎内には工事中や行き止まりの階段があったりするが、それは悪いことではない。そこにカオスの美が生まれるからだ。

たとえば設計図通りに造られた牛久大仏と、増改築を繰り返した東京湾観音を比べたら、どう考えても東京湾観音のほうが素敵だ。すべてが設計図通りに造られて、成長することも劣化することもない牛久大仏は、設計の勝利のようであって、実は敗北なのである。

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ウィンセントーヤの寝釈迦がすべて完成するには、まだ10年や20年はかかるだろう。

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外に出ると、職場の女の子たちは大仏をバックに記念撮影に余念がない。

ところが男たちは工事中の廃虚ゾーンの探検に行ってしまった。ミャンマー人もやっぱり廃虚は気になるのだな。

左写真は大仏の指である。私も一緒に行こうと誘われたが、この手前の坂は30度くらいあり、カメラ片手に裸足で降りる自信がなかったのでやめておいた。

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出口付近に合ったお坊さんの涅槃像。

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ゲートのほうへ降りてきた。最初に入口かと勘違いしていた建物だ。

入口には僧侶がイスに座っていて、職場の女の人がお坊さんにひれ伏してお布施をしていた。この人はとくに信仰が厚いのだろう。

全員がお布施したわけではなく、若い女の子たちは素通りだ。

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同じく職場の女の人。この人はクリスチャンなのだ。ひれ伏さず、お布施を手渡し。

ミャンマーではクリスチャンでもお布施をするのか、これはびっくりだ。

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大仏から見て谷の反対側の斜面にもかなり巨大な骨組みが造られつつあった。

一部には金色のパネルの取り付けが始まっているところを見ると建物ではなく、巨大な何らかの像だと思われた。

どれだけ工事中が好きなのか。このお寺が完成するには、まだ20年、30年という時間が必要なのだろう。

(2014年02月08日訪問)

真実のインパ-ル: 印度ビルマ作戦従軍記 (光人社ノンフィクション文庫 933)

文庫 – 2016/2/24
平久保 正男 (著)

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