国道AH1号線まで戻る。先ほどまで見てきたコーイン村は国道の南側で低湿地だったが、これから向かう寺(↓)ある国道の北側は台地になっている。
台地では水が得られないためか、人家はほとんどない。
お寺へと向かう道。
低湿地の道がラクダ色をしていることが多いのに対して、台地の道はこのようにレンガ色をしていることが多い。
酸化した鉄やアルミニウムが表面に出た、固い酸性の土壌だ。道路には適している。
道の左右は、一見して荒れ地である。
だが航空写真をみると、広範にパッチワーク状の地割りが見える。つまり人の手が入っている土地なのだ。
畑なのか? 植林地なのか? あるいは森林を伐採した跡の遷移中の二次林なのか?
どう見ても作物には見えないんだよなあ。マンゴーとかゴムの木でも植えられているのだろうか。
ミャンマーの南部の低地の潜在的な植生は雨緑林で、チークなどの高木が優占のはずだが、高木はお寺の境内などにあるくらいで、カレン州の台地の風景はほぼこんな感じだ。
人口は少ないが、二千年にわたって森林資源を消費し続けてきた結果がこの風景なのだろうか。それがわかったら、ミャンマーの田舎の歴史(というか、時の流れ方)が少し理解できるようになるのではないかと思うのだ。
目的の寺はこの左の枝道の先にある。
私もだいぶミャンマーの田舎に慣れてきているから入っていけるが、普通の感覚だと中々入ろうとは思えない荒れた細道だ。
分岐には茶堂と看板があった。
看板には「チャーインポロームー僧院」というようなことが書いてある。
この看板はどうも右側の道の先にあるお寺のもののような気がする。
とりあえず左の細道を進むと、丘の上に白いパゴダが見えてきた。
航空写真を見て想像していたよりは地味なパゴダであり、しかもまだ作りかけだ。
でもせっかくここまで来たのだからお参りしていこうか。
お寺に到着。
山門があるわけではなく、この立て札が境内の境界に建てられているだけだ。
奥にパゴダが見えていなければ、途方にくれてしまうような場所。
丘に登る道は荒れていて、歩きづらい。
暑いし、どうしようかなとためらったが、がんばって登ってみることにした。
途中にあった寺男たちの休憩所と思われるもの。
やっとパゴダの並ぶところまで来たが、この辺りからは斜面が急になっていて、サンダルで歩くとずり落ちる感じ。
ここは最終的には階段にしないとだめだろう。
山頂まで来た。
山頂のパゴダはまだ造っている最中だった。
寺男たちが出てきたので、寺の名前を訊く。
「ナウドンビン・シーディ」とのこと。
これはお坊さんの住居だろうか。
かなり質素な暮らしだ。
なのに、スピーカーだけは立派なものがついている。この丘の上から誰もいない荒れ地にむかって読経の声を響かせるのであろうか?
こんなふうに粗末な小屋に住みながら、飽きることなくパゴダを造り続ける人々の姿を見ると、「ミャンマーだなあ」とあらためて実感する。
すでにミャンマーの土地はパゴダだらけなのだ。
ここから見える他の丘にも、ぽつぽつと小さなパゴダがあるし、近隣には先ほど見た来てような大きなお寺もある。
それでもなお新たなパゴダを造り続けるのが、ミャンマーの仏教徒の人生なのだろう。
いまのミャンマーは日本から比べたら所得は1/10の貧しい国だ。だが信仰に生きる彼らと日本人とどちらが幸せなんだろう。
田舎の小さなパゴダはそんなことを考えさせられる場所だ。
(2015年12月07日訪問)