パアン・モーラミャイン街道のバブクァン村を通るとき気になる箇所がある。
それは道ばたにある大きな山門と、その先の低い椰子の並木道だ。
椰子並木は背の低いオオギヤシで、あまり広くない道の両側に1kmほど続いている。
この先に何があるのだろう。
道は小さな村に通じていた。
さらに進んでいくと村の共同墓地があった。
日本ではお寺といえばほとんどの場合、墓地が併設されているが、ミャンマーではお寺と墓地は別である。(お坊さんが葬儀や供養に関わるのは日本と同じ。)
引導場つきの墓地だ。引導場とは、遺族が遺体と最後の別れをする場所である。
このように墓地に引導場があるのは、もともと土葬をしていた場所なのではないかと想像している。現代では火葬が進められて、葬儀会場から火葬場へ移動するようだ。
こうした石棺風の墓地は裕福な人の墓だと聞いたことがある。
この石棺の中には火葬していないナマの遺体が木棺ごと塗りこめられているのではないかという気がする。
墓地の側には、蓮池に映る美しいパゴダがある。
その先には僧院があり、村の中を抜けてきた道はここで行き止まりとなっていた。
僧院の中へ入ってみる。
山門からは回廊が続いていて、途中には僧房がある。
回廊を抜けると、白いパゴダ群が立ち並ぶ場所に出る。
パゴダを建てる場所にもともと樹が這えていたのだろうか。そこだけ残して建設したのだ。
鐘つき柱はパゴダを囲むように何個もある。
後ろを向いたウマの像。
その横にはナッ神を祭る祠。
ナッ祠の内部。
ココヤシやバナナの盛りカゴはナッ信仰のお供え物の定番だ。
祠の手前には
機能は日本でときどき見かける重軽石と同じ。この起源は何なのだろう。道教か?
モン様式のお堂。
たぶん、得度堂ではないかと思う。
パゴダの横には白い門があった。
人が集まっている。バイクに乗ったおじさんが寺の回廊を走り抜けてやってきた。誰かと待ち合わせでもしているのか。
白い門の先は、なんと船着き場になっていた。山門や回廊を通らないとこの船着き場には来れないのである。
寺が出来たのが先なのか、船着き場が出来たのが先なのか、どうしてこんなことになってしまったのか。
川はジャイン川。対岸のように見える土地は中洲である。あの中洲にも村があり、お寺や学校もあるのだ。もちろん橋などはないので村には舟でしか行くことができない。
おそろしく不便でそうな立地だが、むしろつい最近まで、舟のほうが交通手段として確実だったのだろう。重機を使って堅固な道路が造れるようになる以前は、陸路でしか行けないような村のほうが不便だったはずだ。
舟が出る時間になったのか、門のあたりに集まっていた人たちが船着き場に降りてきた。
誰かを待っていたのかと思われたおじさんは、オートバイごと乗ることに!
みんなで力を合わせ、桟橋からボートにオートバイを降ろす。
すごく不安定な状態だがなんとかボートに載せてしまった。
カレン州の地図を見ていると街道に橋がなく「行きたくても行くことができない村」というのがいくつもあったのだが、こうやってオートバイを渡せばいいんだ。これはいいことを知った。
オートバイを載せたボートが出港。すごい生活力。
安定感がないため大きなカーブを描きながら沖に出ていく。
でもあれでは風や波の強い日に、たまにはひっくり返ってオートバイを沈めてしまうこともあるんではなかろうか。
そういうとき日本だったら誰の責任だという話になり、以後船頭が「規則だからバイクは運びません」となりそう。
でもミャンマーでは当分この危なっかしい渡しはなくならないのだろうなあ。
(2015年11月29日訪問)