2003年の年の瀬も押し詰まった12月30日。滑り台保存館の未確認タコ山の一斉調査のために大阪へ向かった。今まで滑り台巡りといえば、何かのついでだったり、日曜の午後の中途半端な時間をつぶすために出かけていたのだが、今回は初めて腹を据えての滑り台巡りである。
徳島から明石大橋経由で大阪の北部へ向かい、大阪のベッドタウンを外周しながら南下、そのまま和歌山まで行ってフェリーで徳島へ帰るというプランである。巡るスポットは17個所と多い。大型の公園では探索に時間がかかると予想されるし、市街地が多く渋滞や駐車に時間をとられることを考えると1日で廻るには無理がありそうだったので、一応は宿泊や車中泊の準備を車に積んでの旅となる。
朝5時に徳島を出て、最初の麻田公園に到着したのは8時。一般の人にとってはすがすがしい朝の時間帯かも知れないが、朝に弱い私にとっては全身が鉛のように重い時間帯である。
地図の上で公園は確認済みだったのだが、一方通行などで公園への進入路がわかりにくく、南側からのアプローチ(左写真)は悪夢のように狭い路地だった。一番細い個所は大型の乗用車は通過できない。大型乗用車やワンボックスなどは北側からのアプローチをお勧めする。
狭い路地を抜けると、道は車が楽にすれ違えるほどの広さになり長細い麻田公園に到着する。
道幅は広いが片側に路側帯の縁石があるため迂闊な場所に駐車すると、右側の住宅地の車庫からの出庫ができなくなるので注意が必要だ。南側の道路が狭くて通勤の車が通り抜けがないのが救いだが、なるべく迷惑のかからなそうな場所に停めて公園へ入る。
大阪空港を離着陸する旅客機と近くを通るモノレールの騒音がやかましい公園である。
麻田公園で私を待っていたのは、初めて見る拡張型のタコの山。滑り台保存館#148に近い形状のものだ。
これまでタコの山を何度も見てきた私も、大ダコのボリューム感と複雑さには圧倒される。
全体の構造が頭に入るまで、タコ山の回りをぐるぐると廻ってしまった。
このタコが、#148タイプの大ダコとの比較において顕著な違いがあるのは、背中うなじのスロープが比較的平滑でバチのような台形をしていることだろう。一般的な大ダコではこの滑走部はすり鉢状になっているものが多いようである。
それにしても初めて見るタコ山の背中の、このおどろおどろしさはどうだ。
右肩には2本の触手がありハシゴになっている。触手の取り付け場所が背中から飛び込み台のようにせり出しているが、このデザインはやや非生物的であり、とってつけたような違和感がある。一般的には背中の斜面から直接触手が生えているように見える台が多いようだ。
左肩にも触手がある。こちらは触手が1本。左肩に触手の他に滑降部が付属しているのも大ダコの定石どおりである。
ただし滑り台保存館#148のこの部分の滑降部がカーブしているのに対して、この台では直線になっており、この点もこのタコは評価が下がるだろう。
左わきの下スロープは後半が平らで、相当の勢いで滑り降りてもトンネルの出口まで滑り出ることは出来ないであろう。
左写真でモルタルがすり減っている辺りまで滑るのがやっとである。
大ダコにはこのスロープの途中に左脇に抜けるショートカットトンネルがある。これも定石通り。
巨大な頭部。
頭の上にはシルクハットのような形の展望台がある。この展望台へは左肩から階段があり、比較的容易に登ることができる。
頭の内部。通路とスロープが集中してすごいことになっている‥‥。
大ダコの頭部は背中の触手の部分に行くための穴があるので、標準的なタコ山より頭部の開口部が2つ多いのだ。
特に右肩スロープのイボイボは大きさといい配列といい雑な感じを受ける。
さて、滑降部の一部が摩滅して下のコンクリが露出してしまっている個所があったので観察してみた。
コンクリの上に紅色のモルタルが塗られ、滑降部ではさらに黄色のモルタルが上塗りされていることがわかる。
着色されたモルタル層は非常に薄い。吹きつけによって施工するのだろうか‥‥。興味が持たれる。
スロープ出口部分のほとんど摩滅していないモルタル層の様子。
赤いモルタルの上には一度ペンキが塗り直されているが、もともとのモルタルの色もくっきりと分かれている。
頭の上に登ってみた。
上から見下ろすタコの足。
この複雑さがタコの山の魅力と言っていい。
反対側。
公園にはほかに、ふじ棚、ブランコ、電話ボックスがあった。
せっかくなので電話ボックスも近影しておくか。
内部の様子。
左側になにか配線みたいなものがある。
電話ボックスのココに何があったっけ???
(2003年12月30日訪問)