アトラン川を渡ると、途端に荒れ果てたような風景に変わった。トラックやオートバイが巻き上げるラテライトが周囲の潅木までも赤く染め上げて、まるで火星の砂漠の風景のよう。
私と一緒の渡船に乗ってきた人々は、渡船場の写真を撮っているうちに走り去ってしまったようで、私ひとりが赤い台地を砂ぼこりを巻き上げながら走っている。
1kmほど走ると、寺の入口を示す立て札があった。
この寺も洞窟があるのではないかと思われる寺だ。
ただ、衛星写真では道のように見えるスジも、実際に行ってみると1m進むのも死に物狂いになるようなアリジゴクみたいな場所だったり、丸太の1本橋でもあればオートバイは渡れないのでまだまだ油断できない。
採石場の人夫たちの村の中を走り抜け、発破の音が響く採石場に出た。
ここまでくるのも結構な悪路だった。でもここからはトラックのわだちがあるのでむしろ走りやすい。
しばらく進むと、寺が見えてきた。
山腹に登るための屋根が見える、たぶん鍾乳洞があるだろう!
寺の近くの道はかさ上げ工事中だったのか、石だらけでまともに走れず、最後は歩いて寺に到達。
でも寺の境内には自動車が停っている。どこを通ってきたのか。
この寺、もう少し道路が改善しないと、乾季はいいが、雨季に近づくのはむずかしいのではないかと思う。
山門の前にサンダルが並んでいる。
けっこう人が来ているみたいだ。
私も山門前にサンダルを脱いで階段を登っていく。
イケメン君は彼女とデートで来ているっぽい。
階段を登り切ると、食堂のような、信徒接待所のような空間に出た。
おばちゃんたちがタイルの上でごろ寝している。午前中の給食を終えてひと休みしているところなのだろう。
接待所の中を進んでいくと洞口があった。
洞窟の内部は床にタイルが貼られ、建物の部屋の続きのようになっている。
この寺には本堂(仏殿)的なものはなく、この洞窟が仏殿になっているのだった。
大きな仏像のところで行き止まりかと思いきや、左側のほうから裏側へ回り込めるようになっていた。
やけに細長い寝釈迦の前を通って、
洞窟はさらに奥に続いている。
最後のほうはタイルの床がなくなり、階段を上り詰めると、瞑想所のようなものがある。
階段のように見えたのはリムストーンだ。
瞑想所にはいろいろなものが運び込まれていた。
線香もあるが、こんな奥まった行き止まりのところで線香を焚いたら空気が悪くなりそう。
あとからイケメン君も来た。
洞窟の最深部までは70~80mくらいか。
壁にはフローストーンがあるが、鍾乳石は控えめ。
整備され過ぎていて鍾乳洞としての魅力はあまりない洞窟だった。
寺の建物は、講堂というよりは、やはり食堂に近い感じだ。
寺の周囲にはムチャリンダ仏や、チャイティーヨーレプリカなどがある。
来るときには道に見えなかったが、寺側から見ると広い道路を造成中だった。2車線道路のくらいの規模だ。
建設中の橋の取付け道路にしては場所が不自然だし、かといって寺の参道としては立派すぎる。日本だったら工業団地でも作るのか?と思えるような工事だが、ミャンマーの田舎ではありえない。どうもよくわからない。
衛星写真を見るとこの寺のある山並みには、他にもいくつかパゴダが確認できる。30分くらいかけて道を探したが、他のパゴダへ通じる道を見つけることはできなかった。いろいろと造成工事をしていて、古い道に残土が積まれていたりして進入できないのだ。どうやらアトラン川から舟でしかしか行けないパゴダがあるようだ。
(2019年03月01日訪問)