永勝寺

東海道の飯盛女を供養した墓がある。

(神奈川県藤沢市本町4丁目)

雨のそぼ降る午後、友人と映画を見るために湘南方面へ出かける。待ち合わせまで時間があったので藤沢市内で寺を見学して時間をつぶすことにした。

神奈川県藤沢市はかつての東海道の宿場町でもある。今の藤沢市はひとことでいえば交通渋滞のひどいベッドタウンだ。

そんな藤沢市でわずかな時間を使って2ヶ所の寺に立ち寄った。

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友人と映画を見る約束をした土曜日の午後。待ち合わせにはまだ時間があったので、ちょっと寺に立ち寄ってみた。

その日は朝から小雨が降っていて、春にしては肌寒い天気。

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永勝寺のある藤沢市は、かつて東海道五十三次の宿場町であった。その宿場で働き、亡くなった飯盛女(めしもりおんな)を供養した墓が、この永勝寺には残っているという。

飯盛女とは、宿場の旅籠にいた非公式の遊女である。宿場町の旅籠には本来遊女を置くことは許されていなかった。そこで、旅人の世話や給仕をするという名目で女を置き、実際には遊女と同じように男たちの相手もしていた。

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いわば江戸時代の裏風俗といったところか。 旅人だけでなく、近郷近在の農村からも男たちが遊びに来たため、飯盛りを多く抱えた宿場は繁盛したという。きっと遊廓の遊女よりも手ごろな料金で遊べたのだろう。同じ東海道の川崎市では今でも「小料理屋」という風俗店(ちょんの間)があるが、どこか「飯盛宿」を彷ふつとする響きがある。もしかしたら、遊廓と飯盛宿の構図は、今日でもソープと小料理屋という形でそのままに残っていたのだ。

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飯盛女たちは、貧しい農村などから身売りされてきた女たちであったろう。そんな女たちの悲しみが伝わってくるような雨の境内であった。

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なお、堂宇は薬医門、鐘堂、水盤舎(写真)、大師堂、本堂、庫裏。

(2000年04月15日訪問)

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建築知識編集部 (編集)
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