新宿副都心の高層ビル街のすぐ近く、青梅街道の北側に
参道に5台程度の駐車スペースがある。私は知らないで、近くの100円パーキングに車を入れてしまった。
境内の入口。こんな高層ビルのふもとに富士塚が残っているというのは意外な感じもするが、境内は表通りの喧騒から離れて静かな雰囲気だ。
境内に入ってみると、何かヘンだ。以前来たときとまるで雰囲気が違っている。別の神社に来てしまったのか?
よく見ると境内が半分くらいになっているのだ。境内の中央に、ちょっと他所では考えられないくらいの豪華な社務所が新築されており、そこから壁を作って、境内の北半分を封鎖してしまっている。
これが以前の鳴子天神社の様子。
富士塚は周りに柵があって、年に1日の山開きのときにしか登れなかったが、それでも間近で見られたし、境内を通り抜けることも出来た。
ところが現在、社務所が境内を二分している。
悪いことに富士塚はその遮蔽された北半分にある。よって、近くから見学することはできない。
この日ちょうど新宿区の史跡の写真を撮っているというカメラマンがいて、一緒に社務所に見学を申し込んだのだが、老婆が出てきて冷たく断られた。
しかもそのときの言いようが、「何の権利があってワタシん家の庭に入ろうとするんだ?」というような迷惑そうな言われようで、山開きの日に登れるのかと訊いても「なんのことだ? 帰ってくれ!」というけんもほろろな対応。
老婆がいなくなったすきカメラマンがささっと庭に駆け込んで写真を撮っていた。わたしも遠目に撮影!
庭の一部になったことで以前のような柵がなくなり富士塚があらわになったとも言える。
もうこの富士塚に登れるチャンスはなくなったのだ。
残念。
もっと早く撮影しておくんだった。
それから約17年の月日が流れた。
2018年1月10日、仕事のミーティングでこのすぐ近くまで行くことがあったので、仕事のあとで富士塚がどうなっているのか立ち寄ってみた。
以前は木造アパートがゴミゴミと建ち並ぶ下町だったが、富士塚の周囲ば高層マンションの町並みに変化していた。
あの宮司の家もなくなって富士塚はまるで高層ビルのオープンスペースの築山みたいに残されていた。
でも山の形などには手は入っておらず、当時のままである。
しかも、夜だというのに参詣できる。
年1日だけ特別に登れた富士塚が、いまや24時間登り放題なのだ。
かつてふもとから指をくわえて見上げるだけだった木花咲耶姫の象のところまで、初めて登ることもできた。
再開発されたことによって、再び富士塚が人々の元へ帰ってきたともいえる。
だがもはや同じ場所とはどうしても思えないのだった。17年の時の流れはあまりにも長すぎた。
浦島太郎になったような気持ちとはこういうことなのだろう。
(2000年10月14日訪問)