猪垣と猪穴

先人の苦労に言葉を失う。文化財指定が望まれる。

(岐阜県郡上市美並町高砂)

星宮神社は長良川の支流粥川の谷のどん詰まりにある。その星宮神社へと向かう途中で、ちょっと気になったものが目に入った。それは県道から粥川を隔てた谷の反対側の耕作地で、田んぼが切れて山林の始まるところに見えた石垣だ。その石垣は棚田の法面でもないし、山林の崖の土留めでもないようだった。星宮神社の帰り道、気になった場所で車を停めて、歩いて見に行くことにした。

大きな農家の前に人一人が通行できるような小さな橋を見つけたが、橋のたもとに大きな犬が繋がれている。躊躇していると農家からおじいさんが出てきた。川の反対側へ行きたい旨を伝えると、犬はおとなしいから大丈夫だという。おとなしいと言うのは正確ではなくて、犬は久しぶりに見る他所者にじゃれつこうとして大はしゃぎなのであった。何しに行くのかといぶかしそうに問われたので、半信半疑のまま訊いてみた。

写真

「あそこに見える石垣はもしかしたら“猪垣(ししがき)"というものじゃないですか?」

「若いのによく知ってるね。そうだよ。」

今まで一度も現物を見たことはかったが、やはり想像は当たっていた。石垣はノシシから田畑を守るために作られた“猪垣"だったのである。

見学したい理由を話すとおじいさんの顔からは懐疑の表情が消えて、あばれる犬を押さえてくれたので、私は橋を渡ることができた。

写真

近くまで行ってみると石垣の手前にはトタン板の壁が作られていて、道から見えたのは石垣の上の一部分だった。その裏には石垣がまるで万里の長城のように続いている。

途中何ヶ所か山へ入るための通路が切ってあって、そこではトタン板の引き戸になっている。

写真

高さは1mほど。切れ目なく続いている。イノシシはこうした段差にぶつかると、乗り越えようとせずに段差に沿って進む性質があるのだという。

奥に見えるのが犬を飼っている農家と県道である。それにしても、運転しながらどうしてこの石垣が目に入ったのか、自分でも本当に不思議としか言いようがない。なにしろ猪垣というものを今日初めて見たのだから。

県道を車で4~5分走ったところに老人の家があった。車を停めると、さきほどの老人の奥さんらしき老婦人が出てきた。田んぼで老人から紹介されたことを話し、猪垣の場所を訊ねると、わかりにくい場所なので案内してくれるという。

写真

奥さんの後について小さな沢伝いの杉林の中を進んでいくと、忽然と猪垣が現れた。

先ほどの猪垣より小さな石で積まれているが、山の斜面を見えなくなるまで続いている。

田んぼを開いたときに出てきた石を積んだのだろうか、あるいは、このために山から石を運んだのであろうか。いずれにしても尋常な仕事ではなかったはずである。

写真

石垣の手前は以前は水田だったそうである。そう言われてよく見ると所々に畦畔の跡がある。

今は杉林になっているが、かつてはここでイノシシを防ぐとことが、それこそ生死にかかわる時代が確かにあったのだ。この石垣がどれだけの労力と年月をかけて築かれたのかは想像すらできない。私は圧倒されてしばし言葉を失ってしまった。

写真

さらに“猪穴(ししあな)"というものがあるというので見せていただく。

イノシシを捕る落とし穴だという。

写真

深さは2mほどか。

どうやってイノシシを落としたのか訊ねたがわからないそうだ。この猪垣を築いたのは近くの“イッケンヤ"という屋号の農家だそうで、詳しいことはそこで聞けとのことであった。

今回、初めて猪垣や猪穴というものを見て、極めて文化財的なものだという印象を持った。しかし残念ながら粥川の猪垣は一切そうした指定を受けていないようだ。そもそも、歴史的遺構でない田畑やその周辺の土木遺産を保全するような枠組みは存在しない。(農水省の「棚田百選」があるくらいだが、周辺の土木遺産は調査の対象とはなっていない。)

奥さんの話では、最近の台風で猪垣の一部が損壊し修復できないでいるという。是非とも調査と保全を願いたいものである。

(2000年05月01日訪問)

ワンダーJAPON(2) (日本で唯一の「異空間」旅行マガジン!)

ムック – 2021/1/29
standards (編集)
伝説のサブカル誌「ワンダーJAPAN」が名前をわずかに変え、装いを新たに登場しました。今号では、ついに震災から10年が経過した、みちのく(東北)を特集します!

amazon.co.jp