長野原草津口駅でサークルの一行を見送ったあと、日が落ちるまでにはまだ間があったので、近くの太子(おおし)線の廃線を見学することにした。太子線というのは、戦時中に鉄鉱山から鉄鉱石を搬出するために作られた貨物路線だ。戦後、旅客輸送も行われたが1970年に廃線となった。
まず長野原駅(現長野原草津口駅)を出ると、線路は六合村へ向かう国道292号を越え白砂川を鉄橋で渡る。国道を越える部分の橋梁は撤去されているが、白砂川鉄橋はまだ残されている。
鉄橋の土手に登ってみた。線路は撤去されているが枕木は残っている。とても渡れる状態ではないので、国道の須川橋を渡って対岸に移動する。
以後終点の太子駅まで線跡は白砂川の右岸を通っている。
白砂川鉄橋の遠景。
鉄橋を渡ると線路の跡は舗装道路になっているが、それも数百mも行くと舗装は途切れ最初のトンネルが現れる。
このトンネルは通行禁止となっていて、鎖が張られている。手前で車を停めここからは徒歩だ。もちろん、懐中電灯は持参。
最初のトンネルは200mくらいあり、漏水ヶ所もあるので慣れないと一人で歩くのはちょっと心細いかもしれない。
トンネルを抜けると木立の中を道が続いている。途中に発電所がありそこまでは車のわだちがあるが、それを過ぎると落ち葉を踏みしめて進む。
まだキロポストも残っていて、往時の光景を想像するのは難しくない。
1kmくらい歩いたろうか。第2のトンネルが見えてくる。このトンネルは入口が有刺鉄線でふさがれている。しかも、トンネルを回避するための山越えの歩道が新設されているところをみると、このトンネルは崩落しているのではないかと思われる。
ひとりだったので無理をせずに引き返すことにした。
白砂川の右岸には廃線跡の他に道はないので長野原駅付近まで戻り、左岸の国道を大回りしてトンネルの出口へ移動する。
これがが第2トンネルの出口かどうかはわからないが、とにかく道を逆にたどって通行止の場所まで来た。
ここから再び廃線跡を太子駅へ向かって進む。
行程の後半は舗装道路でたどるのは容易だ。
途中には2つのトンネルがあり、今でも通行できる。
そのトンネルを出ると終点の太子駅はもう近い。
そしてついに太子線の終点、太子駅へと到着する。線路の終着点には車止めが残っている。
太子駅跡の最大の見ものホッパー跡である。写真はホッパーそのものではなく、基礎の残がいである。この基礎の上部に鉄鉱石の集積施設の上屋が載っていたはずである。
貨車は基礎の下の部分に入って、穴の部分から落ちてくる鉄鉱石を積み込だろうか。
駅の跡には当時の公衆便所がまだ残っていて、地元の人々によって綺麗に清掃されている。
廻りには桜の木が植えられていた。桜の季節になれば、廃墟となった駅の敷地にことさらに哀愁をきわだたせることだろう。
太子駅跡の駅前通り。
突き当たりが太子駅跡になる。かつて商店だったと思われる民家もあり、にぎやかだった当時のオーラを感じることができる。今は国道も山の上を通り、車通りも途絶えたかつての駅前通りがにぎわいを取り戻すことはもうない。
太子線の全線は約6km。一部通行できないトンネルもあるがおおむね保存状態は良く、気軽に廃線や産業遺跡を見学したいという向きにはおすすめのスポットだった。
(2001年04月01日訪問)