柵原町は鉱山で発達した町だ。町内の目立つ場所にはいまでも2本の竪坑の巻き上げ機の櫓が残されている。
右写真は柵原鉱山(同和鉱業)の事業所の櫓。住宅地の中にあるのでひときわ目を引く。
柵原鉱山が廃鉱になったのは、1991年のこと。まだ多くの施設が取り壊されずに残っている。
もちろん取り壊すのにも金がかかるという事情もあるのだろうが、町内には鉱山資料館なども作っていることから、町おこしに役立てようという考えもあるようだ。
実際、櫓やホッパーなどは近くで見るとかそれなりに感動的なものなのだ。だが、それを観光事業化するのは至難の業だろう。(そもそも、酔客が大型バスで乗りつけてくるような、儲かっている産業遺跡って日本にどのくらいあるのだろうか。)
柵原鉱山が掘っていたのは硫化鉄鉱で、硫酸を分離して肥料や化学原料に用いていたのだという。
川の反対側の選鉱場跡にはもっと巨大な櫓が見える。
その選鉱場に移動してみた。
不法侵入をせずとも、公道から観察することが出来る。
巨大なホッパーの跡。写真の中央のアスファルト舗装されている道路は、かつて鉄道の引込線があった場所だ。
今でも右側に線路が残っている。
末期には鉱石の輸送はトラック輸送に切り替わって、鉄道は旅客輸送だけをしていたのであろう。
かなり大きな施設で、ホッパーは20器ある。ここに貨車が並んで鉱石を積み込んだのだ、
こうして目の当たりにするとその迫力はかなりのもの。まぁ、お金をかけてまで保存しろとは言わないが、危険だからと安易に取り壊さず、後世に伝えてほしいものだ。
鉱山住宅はそれらしい風情の建物はいくらも残っていない。
本教寺の付近で見かけた住宅。
(2001年05月05日訪問)