志和稲荷から山並みに沿って県道を少し南下したところで、よさそうな感じの寺があったので立ち寄ってみた。
伽藍配置図。
大興寺の境内ばかりが誇大に描かれているが、実際は小さな谷に大興寺、長谷観音、松林寺、という3つの寺がある。(図の土仏観音堂はたぶん大興寺に所属する堂宇。)こんなふうに小さな谷に寺が固まって建っているところには何か期待させるものがあって、ついつい立ち寄ってしまうのだ。
大興寺の門前までいってみると、お盆のお墓参りの人たちの車がけっこう停まっている。
参道の入口。まずまず期待通りの寺だ。
参道には地蔵堂がある。
山門は釘貫門で、左右には源氏塀。
鐘堂は伽藍配置図では袴腰の鐘楼の絵が描かれていたが、実際は単層の鐘堂であった。
本堂(中央)、玄関(右手前)、庫裏。
墓参りの檀信徒にまぎれて本堂に上がってみた。
本堂の欄間には地獄絵図が飾られていた。コマ割りされていてまるでマンガのようだ。
おそらく“絵解き"に使われたものなのだろう。絵解きとは、説法の代わりに絵を順番に見せながら「地獄に落ちるとこういう大変な目にあう」というような講釈をすることである。説法の一種といえばそうなのだろうが、写真を見てもわかるようにこれは現代で言えば教育映画みたいな娯楽半分のものだったのであろう。
参道の途中には土仏観音堂というものがある。おそらく大興寺の管理物件だと思う。
写真はその入口であるが、鳥居が立っている。どうも岩手県では観音堂には鳥居を立てるというのが常識のようだ。
建物は覆屋に入っている。
覆屋の中の様子。
江戸末期の建物で、建物全体が透かし彫りの彫刻で覆われている。案内板によれば高橋勘治郎という名工の親子が建てたものだという。このあと訪れる黒石寺の本堂も勘治郎の手になるものだという。
すでにお気づきのことと思うが、私は基本的に彫刻で固められた仏堂というのはあまり好きではない。建物全体の形を美しくしたうえで細部に装飾をするのならいいのだが、彫刻に固執した建物は概して全体の形は醜悪だったりするのだ。
向拝の柱に掘られた僧 (?)の彫刻。
(2001年08月12日訪問)