鹿折金山跡

高純度の金鉱石を産したというが今は山に還っている。

(宮城県気仙沼市上東側根)

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本日の宿泊予定地、気仙沼に到着。

普通の旅行なら、そろそろ宿に入ってくつろぐ時間なのだろうが、今日はまだもう少し観光する。気仙沼は2回目で、泊まるところは簡単に見つかりそうな町だということがわかっているので気分的には楽だ。

気仙沼で最初に立ち寄ったのは鹿折(ししおり)金山跡。

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場所は気仙沼市といっても、限りなく陸前高田市に近い山の中。JR大船渡線に沿って、緩やかな谷を登っていくと、谷のどん詰まりで鉄道の高架橋の下に金山への入口(左上写真)がある。場所から言うと以前に見た 長円寺 の背後の山脈の反対側斜面にあたる。

入口のわきには「鹿折金山前」というバス停が今でも残っている。

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1960年代に閉山になったため、もう面影を残すものは少ない。鉱山労働者は林業や農業などと違い、外から入ってきて閉山すれば去ってゆくため、鉱山はすぐに山に還ってしまうのだ。

左写真は入口付近にあった精練所の跡。わずかに廃屋が残っている。

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精練所のあった場所からさらに未舗装の林道を進む。途中はかなりの悪路で、暗い杉林のなかを進むあいだ「この奥本当になにかあるのか?」 と心配になるような道だが、突然あたりが開けて日の当たる場所に出た。

もと鉱山寺務所と鉱口があった場所である。

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鹿折金山は奥州藤原氏の黄金文化を支えたといわれる鉱山で、非常に金の含有量が高かったという。そのため明治時代には坑夫が金塊をねこばばしないように、一人の坑夫に一人の監督がついて採掘したほどなのだという。

左写真は鉱口の跡か。雨が降ったわけではないが、深い霧が巻いていた。

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ところでこの鉱山寺務所の跡の草地には左写真のような陸貝が砂利をまいたように異常発生していた。

数センチ間隔で敷き詰めたように繁殖していたため、プチプチと踏みつぶしながら歩かなければならなかった。

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これがその貝。

おそらく“オカモノアラガイ"という陸貝ではないかと思う。たしかに殻の感じなどはモノアラガイによく似ている。

私が育った関東ではあまり見かけなかった陸貝だ。調べてみたら生息地は東北~北海道が中心らしい。この旅では、次の日のお寺の境内でも見かけたから珍しい貝ではないのだろう。

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近くには“クロコウガイビル"の幼生がいた。

コウガイビルは初出だが、日本の陸上生物のなかでは不気味さで五指に入る生物ではないか。“ヒル"という名前だが分類上はヒル(環形動物)ではなくプラナリア(扁形動物)の一種だそうだ。もちろん血は吸わない。そう思えば怖くなく、見慣れるとなかなかかわいいヤツなのだ。餌はカタツムリなどを食べるという。

(2001年08月13日訪問)