前回の時は無情にも閉まっていた扉が今回は開いていた。
基壇に入ると簡単な祭壇があり、飾り気のない螺旋階段が二階へと続いている。
思えば、仏像などというものは眺めて手を合わせればそれでいいはずなのに、体の中へ入らなければ気が済まないという信仰の形態は面白いものだ。どうも仏教に顕著に見られるように思える。
胎内はひたすら螺旋階段が続く。
途中にはこのような床があるのだが、胎内仏などがあるわけでもなく、息が詰まるようなコンクリートの筒の中をえんえんと上りつめて行くのだ。
観音はコンクリート壁構造。つまり柱や梁はなく、壁全体が構造材になっている。そもそも観音の胴の太さも直径4mくらいしかないのだから当然といえば当然なのだが。
最も狭いあたり。
直径1mくらいの螺旋階段がかろうじて通過できる程の太さしかない。なんという閉塞感!
ある意味では正しい胎内巡りと言えるのかもしれない‥‥。
最上階にはひときわ大きな明かり取りの窓があって柴田町を眺めることができる。観音のボディーの肉厚がよくわかる。
明かり取りのまどは胸のあたりに開いている。最上階は観音の頚の下あたりにあるのだ。
最上階から首のほうをみたところ。
帰りもスロープカー。わかりやすく言えば2両編成のモノレールである。ケーブルカーのように対になった車両があるわけではない。車両はつねに山麓駅に待機していて、山頂駅でボタンを押すと迎えにくるのだ。
もちろんこの日は客は私ひとりなのだから、一人の客のために二往復したことになる。こんなことで採算がとれるのであろうか‥‥。
実はこのスロープカーのレールの下には古いケーブルカーの廃線跡がある。
これは山頂駅のホームの跡だ。
スロープカーの中間点あたりにある山麓駅の廃虚。(スロープカーは昔のケーブルカーの2倍くらいの距離を走っている。)
いろいろな廃線跡のなかで、ケーブルカーの駅の廃虚ほど風情のあるものもない‥‥。駅跡は草も刈られ保存状態は良好。しばらくは残っていくことだろう。
(2001年09月22日訪問)