駒形の水車

道ばたにある現存水車。下掛けで水輪は大型だ。

(神奈川県小田原市荻窪)

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横浜から東名高速、小田原厚木道路と有料道路を乗り継いで小田原に着いたのはもう午後4時ごろだった。小田原駅の裏山にある荻窪インターを出れば、駒形の水車までは一本道だ。

水車は2車線の道路に面して元気に水輪を回転させていた(左写真)。私の郷里の群馬県でも、ちょっと前まではこのような街道筋の道路に面したところに水車小屋が残っていたものだ。(決して何十年も昔の話ではない。)

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水車小屋というと、田園の真ん中の小川のほとりにあるというイメージは、いったいいつごろどうやって作られたのかわからないが、実際の水車小屋はこんなロケーションのほうが一般的といえるだろう。

幹線道路の脇には荻窪用水という用水があり、その水を下掛けで利用している大型の水車だ。水輪の直径は4m。

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用途は精米で、現在では使われていないものの、いわゆる観光水車ではなく、現存水車だ。

ただし使われてもいないのにやたらにきれいに維持されているのは、私としては複雑な気持ちになる。保存することが水車の存在目的になってしまっているように思えるからだ。

こうなってしまうと、この水車はすり減ることも朽ち果てることもなく、かといって本来の仕事をするわけでもなく、永遠にこの姿のまま時の流れを越えていくことになるだろう。

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それはまるで、殺されて標本箱にピン留めされた昆虫標本のようでもある。

美しい昆虫標本をいくら鑑賞しても、生きた昆虫を見たり、触ったり、捕まえたりして遊ぶという体験から得られる情緒は育たないだろう。多くの文化財保存建築はみな昆虫標本のようなものなのである。

使われず、朽ち果ててゆく水車に私が魅かれるのはそういう理由があるからだ。

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普段、サビて土に埋もれた鉄製水輪や、水受け板の代わりに一斗缶を針金でくくりつけたような手作り水輪ばかり見ているからか、たまにまっとうな水車職人が作った木製の大水輪を見ると、逆に「まるで蕎麦屋の水車みたいだ」と思ってしまうのが悲しい‥‥。

教育委員会から委託された水車職人が手がけた水輪よりも、農家のオヤジが必要に駆られて一斗缶でこしらえたような水輪のほうに生気を感じてしまうのは私だけであろうか。

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窓から内部が覗けるようになっている。

心棒には歯車があり、回転速度を増幅させている。大輪の水輪ゆえの構造なのであろう。

案内板によれば、この水車では水輪のことを「太鼓」と呼んでいるようだ。

軸受けには油が注してあるが、注しすぎであたり一面がベタベタになっている。

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臼は搗き臼×3。挽き臼はない。この規模ならひき臼があってもよさそうなのだが。

杵には左から「一斗二升」「一斗五升」「二斗一升」と書かれている。臼により一度に搗ける米の量が違うようだ。

(2001年06月03日訪問)