了義寺をあとにして山田の水車へと向かう。下山田の集落の中にある保存水車だ。中央の道を進んだ家並の中にある。
近くにほどよい駐車スペースがないのが難点。まあ、観光地ではないので仕方がないのだが。
これが山田の水車だ。茅葺き屋根の、誰もが抱く牧歌的な水車小屋のイメージに近い。
だが、そんなところに感心していてはいけない。この上屋は1984年の再建である。茅葺きというのは、葺替えも大変だし防火面も弱い。どう考えても 1984 年に茅葺きの建築物を作る必然性はまったくないのである。つまりこれは「水車小屋は茅葺きの方が、昔懐かしくていいよね。」という意思が働いた結果の建築なのだ。したがって、この水車小屋を形態的に観察することにはあまり意味がないだろう。
この水車小屋で真に見るべきところは、路地の側溝だ。
もしかしたら路地が舗装されるまではもっと川らしい川だったかも知れないが、こんな小さな流れでも、一年中枯れない山水があれば水車小屋を掛けることができるのだ。
水車を学ぼうとするとき、ここは見逃してはならないポイントだろう。
そして、一般に豊かな水の風景と結びつけて考えがちな水車小屋が、こんな細い路地の奥の農家の裏庭のようなところにも建てられるということだ。
この風景は目に焼き付けておかなければなるまい。実際にこんな感じの場所で水車小屋を見かけることもある。(いずれは紹介できるだろう。)
上流の取水部を見てみる。
コンクリで作られているおかげで、完全に機能をとどめている。
水の掛け方は上掛けの逆回転型。
水輪は腐って半分朽ちていた。木造の水輪で、水をかけないでおけばこんなものだろう。
どうせ水輪は永遠に持つものではないからあまり気に病むことはない。水量、取水口、導水路、排水路の状況を見る限り、修理すればいつでも水車小屋は使えそうだ。
排水はこんな具合だ。
もし水輪が回っていたら、さぞかし趣のある風景となるであろう。
水車小屋の内部は搗き臼×3。
この水車は江戸後期に作られ、もともとはきざみタバコを作っていたという。明治31年にタバコが専売制になってからは米を搗くようになったという。
臼の中には、なんだかスムシみたいな虫がわいていた。
最近使われた気配はない。
以前は共同で使われていたという水車も、今は個人の所有となっている。
山田の水車は上屋が再建とは言え、実用的に稼働していた頃とあまり周囲の状況が変わっていないと思われることから見るべき点の多い水車小屋であった。
もちろんハイキングや観光で訪れてもがっかりすることはないだろう。
(2001年06月03日訪問)