続いて、横浜市内の薬王寺という寺へと移動。
百合ヶ丘からは、柿生、佐江戸、ズーラシアを経由して八王子街道へ入るというルート。距離的には最短ではないが、地元なので渋滞しそうな場所は気持ちの上で避けてしまう。間道を進みながら旭区へと到着した。
訪れた薬王寺は、畠山重忠を祀る塚のある寺である。
畠山重忠は源頼朝に仕た武将で、文武に優れ、現在でも好感度の高い武将だろう。北条時政の謀略で、鎌倉へ向かう途中を待ち伏せされ討ち死にした。その合戦の場所が現在の横浜市の二俣川周辺で、北条側の軍勢が陣を構えた場所には万騎が原という地名が残っている。
合戦に際し、いったん埼玉の居城に引いて軍勢をそろえようという家臣に対して、それでは自分たちが鎌倉に反逆したという汚名を歴史に残してしまうとして、わずかな戦力で戦いに挑み玉砕したという。
その重忠主従を祀る六つの塚が、この薬王寺に残されている。
本堂の左前にある塚のひとつ。
大きさは直径2m、高さ60cmほどか。
どの塚もほぼ同じような大きさだ。
それぞれの塚が誰を祀るものなのかというのはよくわからない。重忠と家臣を祀るものだとすれば、どれかひとつが立派な造りであっても良さそうだが、六つの塚はどれも同じような大きさなのである。
全国的には七人塚と呼ばれる塚があり、主人と6人の家来を祀ると伝えられるものが多い。この薬王寺の六つ塚は、案外、もともとは重忠の家臣を祀るものだったのではないか。
参道右側の塚のひとつ。
参道右側の塚のひとつ。
一般に“塚"と言えば、今日では古墳か富士塚か一里塚を指す場合がほとんどで、それ以外の純然たる塚となると、具体的に「あそこに行けばありますよ」と言える塚は少ない。その点、薬王寺の六つ塚は、“塚"のなんたるかを理解する上で、わかりやすい見本と言えるものである。
正月早々、旭区の寺を訪れたのも、この塚が目当てだったのである。
同じく、参道右側の塚のひとつ。
これなど、大きさ、高さともほどよく、まさに塚の中の塚という感じ。
実は塚に対しては、私自身アツイ想いを持っていて、語りたいこともかなりある。人それぞれ塚に対する好みもあろうが、私はあまり高い塚は良しとはしない。人の背丈より高いようなのはもってのほかであり、人の腰より低いくらいの塚が理想的と言えよう。
それこそユンボでもあれば1時間で作れるというような土くれが、人間の俗信とか信仰というエネルギーによって維持されて、平地に戻らずにいるという在り様が塚の魅力なのではないか。
寺の横には細道があり、その向かいにも寺の土地がある。道はかつては寺の墓地の中を通っていたのだろう。
飛び地にある塚のひとつ。
同じく飛び地にある塚のひとつ。
表面を被っているタマリュウ(?)が剥げて、土が流出している。
六つ塚のなかではいちばん傷みが激しい塚だが、塚としてはむしろこのほうが一般的な姿かも知れない。
(2002年01月02日訪問)