横浜からは、通称ヨコヨコ道路を使って横須賀に移動する。鷹取山の大仏を見るためだ。
前年の夏、何の気なしに立ち寄った鷹取山で大仏を見つけたのだが、そのときは一般人の友人が一緒だったため近くまでは行けず、改めて出かけてみることにしたのだ。
この大仏は規模のわりには(当時)あまりネットに情報もなく、ほとんど知られていない大仏だったと思う。
というのも、この鷹取山公園はかなりわかりにくい場所にあり、私はいまだにどこに駐車したらいいのかわからない。近所の人の散歩にはいいのだろうが、遠くから訪れた人にとっては実にアプローチしにくい公園なのだ。
それでも、あまり人の迷惑にならない場所にクルマを止め、弟と公園へ向かう山道を歩いていくと、林の中になにか洞窟のようなものが見えた。
前回来たときは夏だったので、樹が茂っていたので気付かなかったのかもしれない。
旧軍の施設跡かとおもって近くまで行ってみると、なんと石窟寺院のようなものがあるではないか。石切り場の跡を利用して磨崖仏が彫ってあるのだ。
「精霊冥岩山」と書かれている。この石窟の名前なのだろうか。
「壁面に彫刻したり塗装したりすることを禁止します。横須賀市」などという看板があることから、どうやらゲリラ的に作られた石窟と推測されるのだが、決して不真面目なものではなく、内容はきわめてまじめなものだ。
彫られている仏はさまざまで、宗派はクロスオーバーのようだった。
「釈迦」というタイトルのレリーフ。
スプレーのようなものでけばけばしく彩色されている。
この石窟をA地区とでも呼ぼう。
A地区からさらに岩山を回り込んでいくと、今度は穴になったような石窟がある。ここをB地区と呼ぼうと思う。
A地区では、手のとどく壁面に彫られていた磨崖仏だが、B地区は手の届かないようなところに彫られていて、脚立程度で作れるとも思えず、相当大掛かりな足場を組んで作ったのではないかと思われる。
なお、穴の中には粗大ごみが投げ込まれていた。
B地区の周辺の山中にあった仏たち。
夏場だったらツタに埋もれて発見はできなかったかも知れない。
なにしろゲリラ的な磨崖仏だから、順路などを示す道しるべも、仏の場所を知らせる案内板もない。
自分でさがすしかない、という点では、もはやここは遺跡と言ってもいいのかもしれない。
磨崖仏とはあまり関係のなさそうなアートも勝手に展示されていたりする。
さらに少し歩いて山の裏手のほうへ行くと、C地区の石窟がある。
鷹取山の磨崖仏を見にきた人でも、この石窟までたどり着く人は限られているのではないだろうか。
ここはどうやら仏教伝来の歴史絵巻が彫られているようだ。
左の人物は聖徳太子であろうか。
他にも磨崖仏がないかと探しながら山中を進んでいくと、いつの間にか道は細くなり、岩場に出てしまった。
鷹取山の展望台の裏側から登ってきてしまったようだ。
(2002年01月02日訪問)