右上の地図をクリックすると、新百合ヶ丘の駅前に万福寺というなにもない字があるのがわかる。
ここには小さな小さな里山があり、そこには忘れられたような小さな神社があり、その参道には誰からも省みられないような古ぼけた水盤が置かれている。
その水盤からは常に水が流れ出ていて、私はこれは湧水なのではないかと考えていた。
枯れることなく湧き続ける湧き水というと、八ケ岳とか富士山麓とか広い原生自然のなかで涵養されるという印象があるが、実際のところは小さな里山ひとつがあれば維持できるものなのではないか。この神社の水盤はその証拠なのではないかと思っていたのだ。
久しぶりにその湧水の様子を確認しようと神社に立ち寄ってみると、なんと水盤が取り壊されようとしていた。
確かに、急行停車駅の駅前に何もない里山があるというのは不思議ではあったのだが、その造成に際して、なにも神社の水盤を破壊することもなかろうと思うのだが。
またひとつ、首都圏に残された奇跡のような場所が消えようとしている。
神社への入口は、しぶしぶ残されている感じだが、お化けの出るような薄暗い鎮守の杜は、もうこのままの姿ではいられないだろう。
この写真は、その最後の姿を映したものになるかもしれない。
石段を登ると、昼でも薄暗いような境内があり、素朴な入母屋造の拝殿が見えてくる。
まるで、安っぽい萌えアニメで、いい加減な美術スタッフが何も調べないで神社を描いたらこうなるというような建物だ。開け放たれている地蔵格子の開口部など、いかにもという感じである。
そうは言っても、三方が上げ蔀になっており、家大工の仕事には見えない。
文化財にならないような神社の拝殿をはかる言葉の物差しはあまりにも貧弱である。
本殿は覆屋に囲まれていた。
本殿の右側には、小さな末社。
「大口真神」と書かれたお札が納められていた。秩父の三峰神社か奥多摩の御岳山を勧進したものだろうか。
新百合ヶ丘の駅前を東西に通る道は、いわゆる津久井街道という古道である。十二神社のある万福寺という字は小さな峠のような場所で、かつては村境だったのではないかと思わせるような悪所である。道沿いには家の跡がずっと手付かずで残っている。奥に見えるのは井戸の跡だろう。
【追記】
古い写真を整理していたら、2枚目の場所を撮影したものが出てきた。1990年ごろではないかと思う。
この解像度だと見にくいが、水盤の左の踏み分け道のところに水道栓の四角いフタのようなものが写っている。これは水道だったのだろうか。
8枚目の写真と同じ場所。
井戸の跡ではなく、祠のようだ。
そして湧き水を引いた遣り水のようなものがある。これは何の跡なのだろう。
(2002年01月02日訪問)