明治時代に山陽道を整備するとき、5年の歳月をかけて建設された水路橋であり、当時は街道の名所として知られていたという。それがバイパスの脇にぽつんと移築されていた。
これが現役の水路橋だったら「こんなものがよく残ったな」と感心するだろう。でも別の場所に積み直したものを見てもあまり感動はなかった。こういう土木遺産は、その場所に、その用途で残っていることに意味があるのではなかろうか。
技術的には、素人目に見て、これに5年もかかったのはいくらなんでも石工の仕事が遅かっただけでは?と思ってしまう。また、荷馬車くらいしか通らなかった時代とはいえ、山陽道を下に通す橋としては天井高も道幅も控えめだ。
そもそもこの程度の天井川は全国にはいくらもあり、斜路で上を越えるのが普通だろう。トンネルにしたこと自体、設計ミスではないかと思えてならなかった。
(2002年08月28日訪問)