赤城山の東麓でヒメギフチョウの観察会があるというので参加してきた。ヒメギフチョウは関東では非常に貴重な蝶だ。私は生きたギフチョウは見たことがあるが、ヒメギフチョウを見るのはこれが初めて。
通常、貴重な昆虫の生息地はサイトでは場所を書かないというのがマナーと思うが、ここは秘密にするような場所ではないので、地図へのリンクではだいたいの場所を示しておく。
5月とはいえ標高1,000m近くあるこの尾根には花はほとんど咲いていないし緑もまったくない。こんな状態で見れるのかと半信半疑だったが、思いのほか飛んでいた。
陽射しが強く暖かだったので、活発に活動していたようだ。ほかに動くものといえば、越冬したタテハチョウ科の蝶が少しいたくらいだった。
花がないので蝶がとまることはなく、飛んでいる状態では簡単にはカメラのフレームに入らない。
偶然写っていたのが左写真。後ろにある青いものはスパッツだ。ヒメギフチョウは青いものに寄ってくるというので、脱いでひろげておいてみた。
ヒメギフチョウの食草のウスバサイシンも芽を出していた。これが完全に自然な状態のものなのか、繁殖させているものなのかは私には判断できない。
さて、このサイトでは繁盛している水族館や動物園などの観光施設や、町おこしイベントなどは書いてこなかった。「さあこれを見てください」とお膳立てされたものを報告するのはこのサイトの趣旨ではないからだ。だからこの観察会をあえて採り上げたのには別に理由がある。
今回の観察会でヒメギフチョウ以上に気になったのがこの森だ。この保護区の相当広い斜面が、ミズナラやコナラの林になっている。そして林床にササがなく落ち葉だけの斜面が続いている。まるで里山のようだ。
この景観は、町や守る会の人たちが下草刈りなどで整備した結果なのだろう。
「ここまでしないと、ヒメギフチョウは生存できないのか。赤城山の潜在植生ではヒメギフチョウの居場所はないんだ‥‥」私はがく然としてしまった。
日本人は縄文時代からほんの数十年前まで山間地のバイオマスを大量に消費してきた。その結果、里山という森が生まれ、ある種の生きものは1万年という単位でその場所からの“立ち退きを免れてきた"のではないだろうか。
林の一角に炭焼き窯が残っていた。この人里離れた山がかつて薪炭林だったことを物語っている。そして、薪炭林として利用されなくなったとき、ここはもうヒメギフチョウが生きていく場所ではなくなったのだ。
いまでは人間がヒメギフチョウを絶滅させないという満足を得るために下草刈りが続けられている。
私にはこの里山が巨大な飼育ケージのように見えてしまう。初めて見たヒメギフチョウだったが、まるでサファリパークでライオンを見たような後味しか残らなかった。
(2007年05月04日訪問)